日本と縁の深いリトアニア

シベリア鉄道関係の国際会議出席のため、18年ぶりにリトアニアの首都ビリニュスを訪れた。前回1988年に訪れた時はソ連の支配下にあったが、独立の機運が高く、市内の広場では住民集会が熱気を帯びていた。2年後、バルト3国の先頭を切ってリトアニアはソ連から独立。連邦崩壊の引き金ともなった。

そして2004年にはEU加盟を果たす。かつて薄暗く沈滞していたソ連の田舎町は、明るい欧州の都市に生まれ変わった。歴史的街並みが残る旧市街を保存・補修して観光都市としての魅力を高め、隣接地区を調和の取れた近代的区域として整備している。

日本からの観光客も多く、ホテルには日本人団体客のスーツケースの山ができていた。今回宿泊したのは18年前にも泊った旧インツーリストホテルで、大改築されて近代的コンベンションホテルに生まれ変わっていた。

1940年代に命のビザを発給して多くのユダヤ人を救った日本人外交官、杉原千畝はリトアニアにとって恩人だ。カウナスの旧日本領事館は杉原記念館として保存され、ビリニュス市内にも日本語入りの記念碑が建立されている。

昼間の会議が終わると国立オペラ・バレエ劇場で夜のプログラムが用意されていた。私達はオーケストラピットに近い席へ案内された。この夜の出し物は“白鳥の湖”。

主役オデット姫を踊った日本人バレリーナ浜中未紀さんの見事なテクニックと表現力にブラボーの嵐。19歳でリトアニアへ渡り、今では国立劇場のプリマに登りつめた。日本人として少しばかり鼻が高い思いだ。この国に根付いたバレエや音楽の伝統はソ連時代の良き置き土産に違いない。

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ピリエス通りから望むゲディミナス城

新潟日報エリナレター掲載