日ロ隔てず慰霊で相互理解

1905年(明治38年)5月末、対馬沖において日本海海戦が行われた。日ロの戦死者は5,000名弱と資料に記載されており、その大部分はロシア側と伝えられている。日本海沿岸に漂着した遺体もあったはずだが、当時は戦勝気分に酔い、敵水兵の遺体が葬られることは少なかったと想像される。佐渡に何体漂着したかは不明だが、2002年に在新潟ロシア領事館によりロシア水兵の墓標2基が整備されている。身元未詳ではあるが、それぞれ2体が埋葬されている旨の公式説明がある(墓標の1基には明治37年との記載があるが、38年の誤りではないかと思われる)。このほかにも2ヶ所埋葬された場所があると伝えられているが、正式な確認はされていない。

7月1日(日)在新潟ロシア総領事館一行が、整備されている2ヶ所のお墓を詣でた。財政状況が劇的に改善しているロシアは、在外の戦死者関連施設の整備に乗り出している。今回、クラコフ総領事からも、ロシア政府の資金で佐渡に統一的な記念碑を建立したい旨、佐渡市関係者に申し出があった。未確認の埋葬場所等についての情報提供依頼もあった。

ロシア水兵の慰霊記念物の存在は、佐渡来島のひとつのきっかけとなり、より多くのロシア人にこの美しい、歴史と文化を有する佐渡島の魅力をPRできるものと思われる。シベリア大陸には日本人抑留者の墓地があり、整備が進められている。佐渡に慰霊碑を建立することで、日ロ双方が敵味方の分け隔て無く、お互いの土地で死者に対する哀悼の念を抱くことができる。それはまた、両者の感情的な距離を一気に短縮し、相互理解の更なる深化に寄与するものと期待される。

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新潟日報エリナレター掲載