工業都市に残された倭城跡

去る10月15日、韓国貿易協会の主催するセミナーの講師として、蔚山広域市を訪問する機会を得た。蔚山は釜山の北隣に位置し、新潟市と交流協定を結んでいる。1960年代の朴正熙政権期以降、それまで一地方都市に過ぎなかった蔚山に、重化学工業のための臨海工業団地の建設がすすめられた。現在では、現代重工業をはじめとする造船業、現代自動車を中心とする自動車工業、石油化学コンビナートなど、韓国の主要輸出産業が立地する一大工業都市を形成している。

その蔚山は16世紀の文禄・慶長の役(壬申倭乱)で、歴史の舞台となった土地でもある。今回の訪問では、日本の武将加藤清正が、朝鮮侵攻の兵站基地として1593年に築城した西生浦倭城の城跡を見学することができた。西生浦倭城は石油化学コンビナートを通り過ぎた市の南郊、釜山広域市との境界付近に位置する。丘陵地形を利用したいわゆる平山城で、海に面している。その規模は大きく、筆者の見るところ日本に残る城では仙台の青葉城などに匹敵すると思われる。日本式の石垣はかなりの部分がきれいに残っており、春には桜の名所として賑わうとのことだ。

韓国ではこれまで、いわば侵略の爪痕でもある倭城にそれほど関心がもたれることはなかった。しかし近年、歴史的な遺物として見直す動きがあり、西生浦倭城も日本の研究者による調査が行われ、その歴史的価値が再評価されている。蔚山は上記のように工業都市であり、訪れる日本人観光客は多くはないが、釜山や古都慶州などにも近く、もともと立地には恵まれている。日本では歴史ブームの昨今、西生浦倭城も観光資源として注目される可能性もあろう。

fg091208_1

新潟日報エリナレター掲載