「国境の街」新潟も意識を
昨年12月下旬、北海道大学スラブ研究センターが主催した「国境フォーラム IN 根室」に参加するため北海道根室市を訪れた。
フォーラムの前日に、北方領土を日本側から見るツアーが行われ、納沙布岬から歯舞群島の貝殻島(灯台があるところ)と水晶島(その後ろの平らな陸地)を見ることができた〓写真〓。納沙布岬から貝殻島まではわずか3.7キロ。その中間に日ロの暫定国境線がある。2007年にはロシアの漁業者がビールを買いに根室に上陸し、逮捕される事件もあった。根室は事実上、日本で一番外国に近い街なのだが、自分から「国境の街」とは言わない。日本政府の公式見解では国境線は択捉島と得撫島の間にあることになっているからだ。
根室市の昨年末の人口は3万81人。1974年に4万5千人弱となってから減少傾向にある。本来なら国境の街として観光に力を入れていけばいいのだろうが、北方領土をめぐる国の立場の手前、そういうこともできないでいる。
新潟も目の前に国境線こそないものの、長い海岸線と重要港を抱え、ソ連船、北朝鮮船の来港や在日朝鮮人の「帰国事業」、県内での拉致事件など、否が応でも「国境」を意識せざるを得なかった。複雑な国際関係に翻弄される個人や地方の姿がここにもある。逆境の中でも街おこしを真剣に考えている根室の人たちの姿を見て、新潟も東京とは違う、痛みが分かり、温もりのある北東アジアの拠点を目指し、希望を持って頑張らなければ、と思った。
ERINA(環日本海経済研究所) 三村光弘
新潟日報ERINAレター2010年02月16日掲載