憂うべき言論・思想状況 ―瀋陽総領事事件に思う

|中国

北朝鮮の亡命希望者が日本の瀋陽総領事館に駆け込んだ事件について、かまびすしい議論が新聞、雑誌、テレビなどのメディアに氾濫した。概ねその内容は、外務省・総領事館の「たるみ」、政府の「対中弱腰」、そして中国の「主権侵害」を強く非難するものであった。読者の方々は、そうした言論に接して如何なる感想を抱いただろうか。私は、議論のゆがみに強い違和感を覚え、日本の現状について憂えた一人である。

外務省や中国を指弾する論調は、その後も繰り返し放映されたビデオが流されたことで決定付けられた。しかし、取材を受けた個人的な体験に基づけば、ビデオの存在が明らかになる前の段階で、外務省と中国をバッシングするという基調は既にはっきりしていた。その後、副領事が帽子を拾った行為に批判が集中したが、あの状況で瞬間的に事の全貌を理解し、亡命者の保護と警官の構内侵入への抗議ができるわけがない。画面に映し出された光景が、もし例えばモンゴルやシンガポールでのことであれば、「弱腰」などというコメントが発せられたであろうか。ビデオを見ると、確かに武装警察官は数歩構内に入っているが、それに目くじらを立てるのが正常な感覚だとは言えないだろう。そもそも、国際法上総領事館と大使館は異なり、「主権侵害」を云々するのは単純な間違いである(注)。

根拠薄弱で感情的な言論をばらまいたメディアの責任は重い。総合雑誌の見出しをいくつか拾ってみると、「主権喪失の日本、主権無視の中国」「『外務省』という不幸」「今こそ興起せよ、大和魂」「瀋陽事件の屈辱」などのほか、「野中広務氏の対中漢奸外交を糾弾する」「阿南大使、腹を切れ」「なぜ発動しない『暴支膺懲』」など、およそ正気の沙汰とは思えないものが混じっている。そしてその中身を見てみると、ほとんどが出鱈目な思い込みを断定調にわめき散らしたもので、とても読むに耐えない。こんなものがしかし、今は売れるのであろう。長引く不景気のもたらす閉塞感を晴らす、品性無きカタルシスが過激なナショナリズムの噴出である。メディアは、商業主義に徹し、日本人の対中コンプレックスに根ざす小児病的嫌中意識を煽った。健全な常識が声なき声として広く共有されていると信じつつも、複雑な真実に目を閉じ、善悪を単純化する暴論が受け入れられがちな現状を深く憂慮せざるをえない。

冷静に考えれば、両国民の利益が日中関係の緊密化にあることは自明である。経済交流は深まりと広がりを見せている。しかし大きな問題は、両国民の間の感情的な行き違いが増幅する傾向だ。これを逆転させるには、地道な交流を積み重ねるほかはない。賽の河原の石積みと諦めず、山を移す愚公の精神で努力していこう。

(注)領事関係に関するウィーン条約で禁止されているのは、接受国(この場合は中国)が領事機関の公館で専ら領事機関の活動のために使用される部分に立ち入ることであり、総領事館はその限りで不可侵権を有するに過ぎない。もちろん、この条約の精神に則ってみだりに構内に立ち入らないのが外交上の不文律であろう。そして今回、武装警察官が実際に「専ら領事機関の活動のために使用される部分」に押し入り、門をすり抜けた2名の男性を拘束したことに対しては、もちろん抗議すべきである。