性善説の日本人

|ロシア

日本人は世界でも例外的に「性善説」を信奉している国民である。億単位の大きな商談をまとめるときでも、トップ同士が信頼関係をもとに「では、ひとつお願いします」「それでは、お引き受けいたしましょう」で、手打ちである。福澤諭吉は「武家と武家との間で手付金だの証書の取交わしなどと云ふことのあらう訳がない、唯売りませう、然らば即ち買ひませうと云ふ丈の話で約束が出来……」と述べている(『福翁自伝』)。この精神は、今日までも脈々と生きている。わが国では、もし細かい契約条件についていちいち詮議しようとしたならば、「お前はそこまで俺が信用できないのか」と、まとまる商談も破談になってしまう。

これに対して、欧米は「性悪説」をもとにした契約社会であり、弁護士や法律家を使って分厚い契約書を交わして、生じる可能性のあるあらゆるリスクに備える。作家の三島由紀夫が面白いことを述べている。「私どもと日本の出版社との約束は口約束で済むものが、アメリカでは何ページにもわたってアリのはうような細かい活字を連ねた煩瑣な契約書が、起こりうるあらゆる危険、あらゆる裏切り、あらゆる背信行為を予定して書きとめられている。そもそも契約書がいらないような社会は天国なのである。契約書は人を疑い、人間を悪人と想定するところから生まれてくる。」(三島由紀夫『若きサムライのために』文春文庫)ただ、この欧米でも、契約や法律などは遵守するという伝統は確立しており、その意味では信頼社会であって、それゆえ市場経済がまともに機能するのである。

これに対して、中国やロシアでは、契約や法律を重視するという伝統さえない低信頼社会である。中国もロシアも欧米よりもさらに徹底した「性悪説」信奉の社会であり、このような社会で「性善説」を信奉して日本的な行動をしたならば、たちまち「お人好し」すなわち「間抜け」として徹底的に食い物にされてしまう。中国やロシアで確実に自己を守るには、非公式のコネや人脈に頼る以外にないのだが、同時に、法律や会計の制度がたとえ不完全でも、リスクを回避するためには、法律的にも徹底的に武装する必要がある。米国の企業がロシアや中国に進出する場合、現地の最も有能な法律専門家や会計専門家を高給で雇い、起こりうるあらゆるリスクに備えて徹底的に武装するのも、そのためだ。

日本の企業が中国やロシアで失敗するケースが多いのは、たいてい、この武装を欠いているからだ。つまり、日本人はお人好しで甘チャンなのである。北京で働く米国人弁護士のT・バランスキー氏は、「日本の企業は欧米系と比べ、法律家を使って問題を予防することに消極的だ。後で大損害を出して慌ててしまう」(『朝日新聞』2001年9月3日)と指摘している。ロシアの極東で生まれた日露の合弁企業は、その多くが乗っ取られたりして失敗したが、国際社会では日本人はもっとしたたかになる必要があるだろう。