放蕩息子カリモフ

|ロシア

日本は「上海協力機構」のメンバーではないが、中央アジア諸国と中露の関係にはしっかりと注意を向けていなくてはならない。特に昨年9月の同時多発テロ事件の後、中央アジアと中露を巡る情勢は急激に変化している。これは、今後の日露、日中関係にも微妙な影響を及ぼすだろう。そこで、ここはオピニオン欄であるが、「上海協力機構」とその加盟国の微妙な関係を、軽いエッセーにまとめてみたい。

昨年6月に「上海協力機構」の首脳会議が開かれた。その時の記念写真を見せてもらったが、プーチン大統領、江沢民主席、カザフスタンのナザルバエフ大統領、キルギスのアカエフ大統領、タジキスタンのラフモノフ大統領が向かって右の方に並んでいる。これに対して、ひとりウズベキスタンのカリモフ大統領だけが、左のほうに少し離れて、心なしか、ややしょんぼりと立っている。実はカリモフはこのとき初めて正式のメンバーとして仲間に入れてもらったのだ。それにしては、新メンバー歓迎の雰囲気ではなく、他の国々がウズベキスタンを冷ややかな目で見ている風情ではないか。以下は私の写真説明である。

一昨年の7月にタジキスタンのドゥシャンベでこの会議が開かれたとき、初めてオブザーバーとして参加したカリモフはプーチンなどから大歓迎を受けた。ロシアへ反抗し、ロシアの支配を受けるのを嫌がってCIS集団安保条約からも脱退したカリモフが、放蕩息子の帰宅よろしく歓迎されたのだ。ロシアとの関係ではもともと品行方正なタジキスタン、カザフスタン、キルギスなどは、プーチンからチヤホヤされるカリモフを見て少し面白くなかったが、彼らは聖書に書かれていることを思い出して我慢した。

このように2000年7月にプーチンはカリモフをせっかく歓迎したのに、その年の9月末にはカリモフは、あろうことか魔女タリバンと浮気をしてしまったのである。それまでカリモフはタリバンの勢力拡大やその勢いに乗ったイスラム過激派の武装集団を極度に恐れていた。だから彼はイスラム過激派に最も強硬姿勢をとっていたのだが、いきなり態度を180度転換して、タリバン政権を認める発言をしたのだ。

実はタリバンがアフガニスタン北部の都市を陥落させたので、恐れをなして妥協策に出たというのが真相である。プーチンは、浮気をしてタリバンに傾き、あげくに「イスラム過激派の脅威というのは誇張されている。これは中央アジア支配の口実だ」とまで悪態をつくカリモフに激怒した。したがって昨年6月に「上海協力機構」の仲間に入れるのはしばらくお預けにすべきだと主張した。といっても内心は、2002年の6月、サンクトペテルブルグでの会議のときに仲間に入れて、ロシアとしては恩を売ろうとしたのだ。しかし、中国が「まあまあ」ととりなして、上海でカリモフを仲間に入れることにした。中央アジアの盟主を自認するカリモフの加入に対しては、ライバルであるナザルバエフが強く反発したが、結局中国やロシアのとりなしで、中央アジア諸国もウズベキスタンの正式加入を認めた。写真は、皆がカリモフに向かって「今度は許してやるが、もういちど勝手な浮気をしたら許さないぞ」と言っている場面である。このときはカリモフも、タリバンとの浮気に少し後悔もし、反省もしていた。だから、少ししょげているのである。

以上、私の写真解説であるが、昨秋上海を訪問した時に聞いたところでは、たまたま写真をとる直前、カリモフは部下と話をしていて、写真を撮る集合にやや遅れただけとのことであった。これはこの会議の組織担当者から本当に聞いた話である。

ウズベキスタンは昨年9月11日のテロ事件の後、米軍の駐留を認め、今は米国による大型支援と引き換えに、基地の長期使用の契約を結んだという噂も出ている。ロシアは、今度は米国と過度にいちゃつくカリモフに不快感をもったが、江沢民はプーチン以上に立腹した。中国はプーチンほどブッシュを信頼しておらず、米国の基地が中央アジアにできるのには我慢できないからだ。カリモフの放蕩は止みそうにない。