日本企業は撤退したが、極東ロシアは日本を見ている

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日本企業の撤退

ご存知のように、ウラジオストクなどに進出した日本企業は、この10年間でほとんど撤退に追い込まれた。その理由についてはロシア側に多くの問題があるが、日本経済の構造的な不況や日本企業の対ロシア戦略変更など、日本側の問題もないわけでない。

現在、ウラジオに常駐している日本人は商社2名、ソフト開発会社1名、マスコミ1名、あとは日本総領事館員と日本センター職員という状況である。この日本人の数だけから、今後の日本とロシア極東の経済交流を推測すると、暗澹たる気持ちになる。

しかし、日本企業はウラジオなどから撤退を余儀なくされたが、その日本の企業理念やサービス精神、そして日本の文化が着実に根付いていることを紹介したい。

新車は売れなくても技術者を養成

1992年、日本の商社が日本メーカーH社の「新車のショールーム」をオープンして販売を始めた。このメーカーは、当時はセダン中心で欧米では人気があったが、誰が見ても悪路のロシア極東に適する乗用車ではなかった。最初の年は比較的順調に売れたと聞いていたが、3年ほどでこのショールームは姿を消した。また、その後この商社も撤退をした。

しかし、販売当時からH社はロシア人技術者の養成に取り組んでいた。ウラジオの工科大学と提携をして、日本人技術者を派遣して車のメカニズムなどの技術的な指導を行なってきていた。その中から優秀な技術者が育っていった。今でもH社がウラジオでやってきた日本車の技術指導を評価するロシア人が多いのは頷ける。

また、現在ウラジオで日本製の新車を販売している「サミットモータース」も、技術者の研修にもっとも力を入れており、この会社が販売するトヨタ車の信頼は極東では一番である。このようなことから、「日本の企業は進出するまで時間がかかるが、進出をすると、きちんとやってくれる」、というのがロシア人の一般的な日本評価に繋がっている。

日ロ合弁ホテルが残した日本式サービス

ウラジオの中心部から少し離れた場所に「アクフェス西洋ホテル」がある。名前からも分かるように日本企業との合弁ホテルである。一時は、日本人支配人が常駐しており、ウラジオを訪れる多くの日本人がお世話になったホテルとして有名である。

私は同ホテルのサービススタイルが、ウラジオやハバのホテルやレストランのサービスを旧来のスタイルから変えたといっても過言でないと思っている。

このホテルがオープンする際、日本側が非常に困ったことがあった。それは旧ソ連時代のホテルのフロント担当は、ホテル側の従業員が椅子に座ったままお客と対応をしていたことである。それはいかにも「泊めてやる」と言いたげな応対であった。それを立って接客することに変えるにはロシア側の大変な抵抗があり、サービスの理念を教えるのに大変な労力と時間を要したと、当時日本人支配人から聞いていた。

現在、ウラジオのほとんどのホテルのフロントでは立って対応をしているが、これは日本の企業がホテルサービスの理念を教えた成果である。そして、現在はこのスタイルがスタンダードとなっている。今では日本人以上にサービスの質にクレームを付けたがるのが、ロシア人である。

ロシア経営の日本料理店4店がオープン

現在、ウラジオには日本食料理を食べさせる店(レストラン)が4店舗ある。すべてがロシア経営であることを強調しておく。ウラジオではビジネスなどで日本を旅行している人々も多く、エスニックな日本料理店は高級でおしゃれな店として人気が出ている。各店は食材を日本から直輸入したり、料理の内容にも工夫を凝らしている。

90年代の中頃まで、ウラジオには日ロ合弁の日本食のレストランが何件かあった。その中の1軒、ウラジオストクホテルの地下にあった「桜」は、天ぷらが人気でロシア人客で賑わっていた。ロシア人の女性が着物姿で迎えてくれることから、日ロ合弁の象徴としてマスコミにも度々紹介をされていたのが懐かしい。当時、ロシア人はこの店から日本文化を感じ取っていたのかもしれないと、今になって思う。

昔も今もロシア人は日本の文化に興味を示している。その食文化の架け橋がこの4店舗の日本食レストランである。日本側で協力できることがないだろうかと考える。

この10年、ロシア極東は日本を見てきた

以上、紹介したのは一例に過ぎない。この10年、日本人がロシアを見るより、ロシア極東の人々の方が真剣に日本人のビジネスのやり方を観察してきたと思える。

ある日、ウラジオ航空に乗ると「おしぼり」に似たものが出され始めた。日本人客に喜ばれるように考えたサービスのようである。また、先日乗った列車「オケアン号(ウラジオーハバ)」では、二人用コンパートメントは食事とアルコール付きの寝台列車であった。このようなサービスが、外国人観光客にも喜ばれ経済的な付加価値を生みだす。

90年代初め、日本企業や日本人がロシア側と一緒にやろうとしてきたサービスというビジネスが、形を変えてロシア人の中に実を結び始めているように思える。