「東アジア共同体論」狂騒曲を如何に考えるか

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ここ数年来、経済を中心に日本、中国、韓国、ASEANのいわゆる東アジア地域協力が極めて活発に進んでいる。東アジア域内での貿易はすでに輸出入ともに50%を大きく超え、東アジアへの投資もNIES(シンガポール、香港、韓国、台湾)と日本が欧米諸国を圧倒するようになってきた。日本の対中国圏(中国・香港・台湾)貿易はついに対米貿易を総額で超えてしまった。ある著名な経済学者が「東アジアの東アジア化」と表現しているほどである。そうした折、アジア各国の政官財界、学界などでもっともホットなイシュー(問題)となってきたのが、「東アジア共同体」をめぐる論争であろう。

中国では、上海協力機構(SCO)の設立、ASEANとのFTA締結交渉合意、北朝鮮核問題をめぐる六カ国協議の主宰、拡大メコン流域開発など積極的な地域協力メカニズムの推進が目立つ。日本も中国に遅れまいとアジア諸国とのFTA交渉に入った。経団連、日本貿易振興機構(JETRO)、総合研究開発機構(NIRA)のような経済関係シンクタンクなどで、「東アジア経済共同体」「東アジア・ビジネス圏」に関する研究報告や政策提言などが次々と出されている。2003年12月には、小泉総理をはじめ日本・ASEANの首脳を集めた東京サミットが開かれ、そこではなんと真正面から「東アジア共同体」構想が高らかに謳われた。

さらには04年春には安全保障も含んだ「東アジア共同体評議会」(会長・中曽根元首相)が設立されるなど、「東アジア共同体熱」は一段と高まっている。03年秋、「東アジア経済共同体」をテーマにしたフォーラムが台北で開かれた。日本、中国、韓国、香港、台湾の学者が参加していたが、私は東アジア地域協力における非経済ファクターをどう考えるかというテーマで報告をさせてもらった。このように東アジア地域協力は、まさに経済に留まらず、安全保障、政治のレベルに広がりつつある。

しかし、この議論の雰囲気をのぞいてみると、これで「東アジア共同体」なるものが形成されるのかと首をかしげることも少なくない。東アジアで圧倒的な比重を占める日中両国間で「感情問題」は深刻である。昨年秋の日本人留学生の寸劇に端を発し反日暴動へ広がった「西北大学事件」、今年夏の重慶、済南・北京でのサッカー・アジア・カップに見られた観客の激しい反日ブーイングなど、中国政府当局さえも戸惑いを隠せない現象が頻発し始めている。逆に尖閣諸島近海での中国船の探査、掘削活動などは、日本人の反中感情を高めている。日中双方の一般人レベルでの相手に対する感情的反発が顕在化している。こうした双方の国民感情を煽るかのように、日中の論壇で狭隘な排外的なナショナリズムが幅をきかせ始めていることも確かである。あるいは、関連したある会議で、「東アジア共同体」に関心を持つ、さまざまな考えの人々が集まり、大いに議論が盛り上がった。その中に「東アジア共同体の形成を通して、強大化する中国をけん制しなければならない」といった趣旨の発言が堂々と出された。まさに「中国警戒論」をベースにした「中国包囲・共同体論」であるが、「何が共同体なのか」と耳を疑った。

このように今日の日中関係は経済の順調な発展に比べて、政治レベルでは必ずしも「良い関係」が保たれているとは言いがたい。「総理の靖国参拝」がその大きなトゲとなっていることは周知の事実だ。日本が本気で「国連安保理常任理事国入り」をしたいなら、中国の支持を取り付けることが不可欠であり、そのために中国の「対日感情問題」は避けて通れないことも自明である。それなのに中国首脳との対話環境を改善しようとしない。別に「日中友好」を金科玉条にする気はないが、「中国敵視」論、「中国対抗」論をぶつ人が本気で「東アジア共同体」構築を叫ぶとは信じられないことである。かつてのアジアを蔑視し、感情的な連帯意識を持たないままに進めた「大東亜共栄圏」の挫折、「歴史の苦い思い」をしっかりと思い起こし、噛み締める必要がある。東アジアが本当に信頼と互助の精神の下に新たな「共同体」形成を目指すことこそ、歴史的に意味のある試みといえよう。