日本企業のロシアへの関心の高まり

|ロシア

秋が過ぎていく。ロシアの秋では、森の木の葉は紅葉するというより、黄色になる。それが小春日和の日光に照らされると、黄金色に映えて実に美しい。それで「黄金の秋」と言われる。だがそれも間もなく終わり、木の葉が枯れ尽くす冬がすぐそこまで来ている。

今年は夏から秋にかけて、北オセチヤ共和国の学校占拠事件を頂点とするチェチェン・テロの波状展開があり、プーチン政権を文字通り震撼させた。その反動で、プーチン大統領は地方首長の直接選挙制度を廃止し、大統領の指名制に切り替えるなど、国家統制の抜本的強化を打ち出した。ビジネス面でも一時的に動揺が生じた。モスクワ日本商工会の緊急アンケート調査によると、ロシアへの、あるいはロシア国内での出張を見合わせるなどの措置を講じた日本企業が、回答数の半数以上を占めた。せっかく盛り上がった日本からロシアへのビジネスの動きも、ここへ来て冷や水を掛けられた形になり、各社のビジネス上の懸案事項が先送りになる懸念が強まった。

ところが、その後の動きを見ると、新たにロシアでビジネスを展開したいという意向を持ってジェトロ・モスクワにコンタクトして来られる日本企業の方々の数は、そんな懸念などどこ吹く風かと思えるほどに、増える一方である。日本企業のロシアへの関心の高まりが、大きなうねりになったかのようである。

自社の世界戦略の中でロシア市場を新たに位置付けたい、ソ連崩壊後中断していたビジネスを再開したい、自社製品をロシア市場で売り込んでみたい、という企業の方が次々にジェトロにコンタクトして来られる。大企業もあれば、中小企業もある。東京の企業もあれば、関西や北海道など地方の企業もおられる。さらに日本からのコンタクトや訪問もさることながら、ヨーロッパに進出している日本企業の方々も、毎週のようにモスクワに出張されたり、私どもに電話や電子メールで質問を投げ掛けて来られる。

自社の世界戦略の中でロシア市場を新たに位置付けたい、ソ連崩壊後中断していたビジネスを再開したい、自社製品をロシア市場で売り込んでみたい、という企業の方が次々にジェトロにコンタクトして来られる。大企業もあれば、中小企業もある。東京の企業もあれば、関西や北海道など地方の企業もおられる。さらに日本からのコンタクトや訪問もさることながら、ヨーロッパに進出している日本企業の方々も、毎週のようにモスクワに出張されたり、私どもに電話や電子メールで質問を投げ掛けて来られる。

振り返ると、日ソ・日露貿易が特に盛んだったのは、輸銀バンクローンによる大型プロジェクトが次々に花開いた70年代で、その後は国際政治関係の悪化やペレストロイカによるソ連経済の弱体化などで日ソ貿易は伸び悩んだ。ソ連が崩壊すると日露貿易はさらに低迷し、1999年の日本からロシアへの輸出は1973年のレベルまで落ちてしまった。言わば落ちるところまで落ちたわけだが、2000年以降、ようやく隆盛し始めた。特に2003~4年の日本からロシアへの輸出の伸びは、70年代とは質がまったく異なるが、勢いとしてはそれに勝るとも劣らない力強さがあるように感じられる。

日本のソ連・ロシアへの輸出(1970~2004年)

ohashi

(出所)日本側通関統計をもとにJETRO作成。

つい最近まで、ロシア経済は徐々に復活しつつあるのに、日本企業の関心がなかなか向かない状態が長く続いてきた。それに対しジェトロでは、ロシアにおけるビジネス機会をやや意図的に強調して日本企業にお伝えする姿勢をとってきた。また、ロシア・ビジネスにはリスクがともなうが、そのリスクは絶対的なものではなく管理可能なものであると主張してきた。

これからは、業種別やロシア市場への進出・参入のパターン別など、日本企業のより具体的なニーズに即した、各論のレベルに降りた情報提供を行っていくことが大切になってきたと考えられる。また、今後は逆に、ロシアにおけるビジネス機会の在り処を丁寧に伝えていくこととともに、改めてロシア・ビジネスにおけるリスクについて、やや意図的に強調しつつ具体的に紹介していくことも必要になって来るのではないか。よいムードが出来上がると、十分なFS調査を踏まえずにロシアに参入しようとする企業さんも出て来よう。しかし、ロシアは決して楽な市場ではないし、競争も激化する一方なことから、自社の体力、能力に合わないロシア進出はお勧めしない方がよいケースもあろう。

これまで様々な紆余曲折のあったロシア市場なので、今後も恐らく一本調子でビジネスが拡大していくようなことはないだろう。しかし、長年、日露ビジネス振興に携わってこられた人々にとっては、前向きで工夫のしがいのある時代が来たと言えそうで、長い低迷の時期を辛抱してきた甲斐があったという気持ちではないだろうか。