「国境」私考

|ロシア

(島国の場合)

1967年9月私は初めてモスクワへ旅した。当時空の便は無く、横浜から汽船に乗り2泊3日の航海でナホトカへ、汽車に乗り継ぎ翌朝ハバロフスク、そして飛行機でモスクワへ向かう都合3泊4日の行程であった。船はソ連の客船でオルジョニキーゼ号。乗客はモスクワを経由してヨーロッパへ抜ける人の方が多い。桟橋には大勢の見送り人が詰めかけ五色のテープがひらめきの惜別の情に浸っていた。私もこの喧騒の中でいよいよ国を離れる現実を前にして感慨ひとしおであった。

1日目の夕べはサロンでロシア民族舞踏に溜息をつき、クイズ番組に興じ、プーシュキンの作品の映画を鑑賞したりで、心はすっかり旅の中にはまり込んでしまった。ところが翌朝、甲板に立って唖然とした。船は三陸海岸を左に見て悠々と走っているではないか。それも飛び込めば陸まで泳ぎ着けるような距離である。ここは未だ日本の懐の中であった。昨日の桟橋の光景、幾千のテープの波、今生の別れかと咽び泣く若き女性の姿、一体あれは何だったのか。私は思考が停止し呆然と立ち続けていた。

(大陸の場合)

1969年6月私を乗せた列車はモスクワ・リガ駅を後にして一路ウィーンへ向かった。途中バルカン特急と連結する33時間の旅である。翌朝ベラルーシーの首都ミンスクを経てその日の昼前霧に包まれた国境の街ブレストへ到着した。3時間の停車。これより軌道幅が変わる為車輌台車の交換を行う。その間乗客は全員列車から降りて食事を取り出国手続きを行う。定刻、列車はブレスト駅を離れポーランドとの国境ブク河にかかる橋に向かってゆっくりと進んだ。鉄橋に近づくにつれて霧が晴れ、やがて眼に映った光景に私は鳥肌が立つのを感じた。線路から程遠くないところに黒々とした櫓が立ち、頂上のテラスから監視兵が機関銃を列車に向けている。櫓の下の空間には木が疎らに立ちその間を縫って軍犬が数匹走り回っている。昔映画で見たナチスドイツの収容所を彷彿とさせる光景であった。

列車は速度を上げない。警備隊本部で照査している出国手続き書類の中に不審な箇所が発見されれば即刻列車を停止させる為だろう。私の査証期限は前日で切れていた。査証検査官は見逃したが、本部警備員はどのように判断するか分ったものではない。私は列車が停車しないよう心の中で祈り続けた。その後数多くの国々との境を通過したがこれほどまで国境風景が恐怖心を煽ったことは無かった。

島国に生まれ育った者にとって海のどこかに存在するはずの国境線は捉えどころがない。上述(島国の場合)は一面「間が抜けた話」とも言えるが、日本人の平均的国境観ではなかろうか。海の国境を渡っても出国したという気分になれず島影が見える限り国の内側に身を置いている。つまり島国育ちは国境に対する認識が鈍い。

それに比べて陸の国境は厳粛である。文字通り国境線としてその境が眼に見えるのだから。その上、国境は隣接する国の民をしてそれが幾度と無く変更された辛い歴史を思い出させる。

ブレストは14世紀リトアニアの支配下にあった。16世紀からポーランドに属し18世紀末ロシア、プロイセン、オーストリアによって3回に亘る分割の結果ロシア領に入る。第1次世界大戦時ドイツとレーニン政権との間で締結された単独講和ブレスト・リトフスク条約によって独立を果たしたポーランドに返還される。1939年ナチス・ドイツとソ連による分割で再びソ連に帰属した。

このように歴史をつづめてしまうと全く無機質そのものだが、実際は民族間、国家間に生じる宿命的な戦い、砲声と硝煙の下に繰り広げられる人間同士の殺し合いの結果の変遷である。今日のヨーロッパの地図が出来上がるまで民族は生き残る為に戦い、勝って国を広げ、或いは又戦いを挑まれ、負けて国を縮小した。そうした歴史を繰り返しソ連はブレストを得たのだ。彼らにとって戦争を開始するに正義は無く、終結させるに法は無い。あるのは生き残る為の論理だけである。油断すればブレストもまた他国に奪われてしまう。国境は外敵が攻めてくるところである。それを許さない防備を固めておくところである。これが陸地に国境を持つ民の国境観であろう。島国育ちの国民にはこうした国境の概念に疎い。ソ連とポーランド、同じ社会主義体制の同盟国の間にどうしてこのような厳重な国境監視設備を設けなくてはならないのかというピントの外れの疑問が湧くのも島国育ちが故である。

翻って我が国を見るに北方四島を巡る線引きは60年経つ今も未解決である。事は複雑で決着がつかない理由、原因は幾つかあるようだが両国民の国境感の相違もそのひとつではなかろうか。「他人の物を取る行為は悪、元の持ち主に戻すべし。約束は守るべし」という具合に正邪を儒教倫理で律しようとする日本人。一方「生き残る為には他人の領土も犯す。条約は時間稼ぎの手段」という力の論理に支えられて国家を形成してきたロシアの民。

プーチン大統領の我が国訪問が今年11月に実現すると報道されている。両国の境を巡る交渉は早や還暦を迎え61年目に入ろうとしているが、こればかりは年を重ねるだけ良いというものでもない。従来の交渉の延長線上に果たして両者の接点は見出せるだろうか。

余談で私事に亘り恐縮だが、横浜からの旅に偶然グループサウンズ「ロイヤルナイツ」のメンバーと一緒になり、それ以来山下健二氏とは今も親交を篤くしている。その時教わったロシア歌謡「八月」という歌が気に入っていつも季節が来ると口ずさんでいる。