馬の話

|モンゴル

モンゴルの人は馬を重要視している。騎馬民族といわれる所以である。社会主義時代の盛時(1960年)に250万頭おり、民主化以降の1995年頃には300万頭余いた馬は2003年には200万頭を切ってしまった。馬は全世界で6500万頭といわれるので、それでも世界の馬の約32分の1を世界人口の約2400分の1のモンゴル人が育てているといえる。

モンゴルでは、賓客などに馬を贈呈する習慣がある。といってもいただいた方は連れ帰るのでもなく、従来通り旧飼い主の群れの中におくのである。だが、あの馬はだれのものと記憶される。私もそのような馬がモンゴル各地におり、馬が死亡するまで私の馬である。スフバ-タル県は馬どころの一つである。3つの郡でいただき同県には3頭いる。ある郡で群れからどれでもというので、常に先頭に行きたがる2歳仔のホンゴル(辞書では薄い栗毛とあるがベージュに近い)で、たてがみが黒、4足の足首も黒の子馬を選んだ。同行の老新聞記者は親指を立て小声でいい馬だナーダムで勝つかもしれないと述べた。同県スフバータル郡(建国の父スフバ-タル将軍の出身地)産の伝説の名馬「ニーゲミン・ホンゴル」と毛並みがそっくりであった。離任の際、オラーン財政・経済大臣(同県出身)が私の馬の小置物を作成してくださった。馬を間においたモンゴルの方とのおつきあいには忘れがたい思い出がたくさんある。

モンゴルにタヒと呼ばれる野生の馬がいる。和名はモウコノウマである。そもそもモウコノウマはモンゴル高原から中国の新疆ウイグル自治区に棲息していた野生の馬で通常の馬とは別系統である。ロシアのアレグザンダー皇帝の命により生涯をモンゴル、中央アジアの探検に明け暮れた探検家、ポーランド人のプルジェヴァルスキーが百数十年前ヨーロッパ世界に紹介したのでプルジェヴァルスキー馬ともいわれる。1881年セント・ペテルスブルグの博物館員ポリアコフが新種と確定した。この馬は1969年を最後に野生種は絶滅した。オーストラリア、ドイツ、オランダ等の動物園から1992年より再導入してモンゴル再土着化が図られている。再土着化はウランバートル西方約40キロのホスタイ山一帯の地域(505平方キロ)を1998年に国立公園に指定して進められてきた。

2001年7月日本モンゴル間政府政策協議でモンゴルを訪れた故奥大使(当時国際連合局政策課長、後イラクで犠牲になられた)は環境問題でなにか協力できないかとのご希望だったが、ホスタイのタヒをご覧に入れることができた。運良くタヒの群れが夕刻水を飲みに川に降りてきたところを観察することができた。一昨夜大都会東京で遅くまで残業していたが、こんな近くにこのような野生種の保存の試みがなされているとはと感想を述べられ、なんとか保存に力を貸したいものだと述べておられた。

東京都下の多摩動物公園にモウコノウマがいると聞いたので見にいった。狭い柵の中に飼われていることに何か原理に反するような不自然さを感じたものの、他方でそうしなければ、日本の子どもたちがモウコノウマに接する機会がまずないのも事実だ。日本にモウコノウマは7頭いる。多摩以外では千葉市におり、多摩のレオとサーシャは高齢化しているので、次の世代のペアが欲しいが多摩の若い世代はメスばかりで彼氏を募集しているのだそうである。外国から再導入しているモンゴルからは趣旨に反するようで導入が難しいと思われるが、日本のモウコノウマのためになんらかの手だてがないものだろうか。