北東アジア経済協力体の構想

|朝鮮半島

毎朝7時半になると、ソウルの都心光化門では北朝鮮の開城行き通勤バス2台が出発する。出発して1時間後、非武装地帯をわたってすぐ開城工業団地に到着できることに、“北朝鮮がこんなに近かったのか”と多くの人々はまず驚きを隠せない。

3年に満たないうちに起こっている開城工業団地の変貌に訪問者らは再び驚かされる。“桑田碧海”という表現はまさにこうした場合に適するために存在するようである。

朝鮮戦争当時、北朝鮮軍の主な南侵ルートであり、かつ激戦地として北朝鮮の軍事的要衝地であった開城。2003年6月の着工当時は、軍事施設と坂、田んぼと畑しかなかったところに5万坪の工業団地が造成され、現在は15社の韓国の企業が進出しており、北朝鮮側の労働者6千5百余名と韓国側の労働者5百余名が共に働いている。今年は300社の企業が、3年内には1000社の企業が進出する予定である。

韓国の資本・技術と北朝鮮の土地・労働力を結合させ、互いの利益を図ろうとする開城工業団地事業は、朝鮮戦争当時のもっとも熾烈な激戦地を、平和と共同繁栄の象徴として変貌させていくのである。

去年、開城工業団地内で分断後60年ぶりに直通電話が設置されて、南北間の自由な通話が可能となり、韓国からは1万5千kwの電力も供給されている。また、同年10月からは開城に南北経済協力協議事務所が開設され、南北間の公務員らが一つ屋根の下で共に働いている。対北朝鮮への投資を希望する韓国の中小企業はここで北朝鮮の関係者と相談をしている。

むろん北朝鮮の核問題や、関連した法・制度上の不備、原産地表示問題など、開城工業団地の発展のために解決すべき課題もまだ多く残っている。これらの障害要因を一つずつ解消していくことによって、南北の労働者たちがともに働きながら南北の共同繁栄の道を歩み始めた開城工業団地に、近いうちに外国企業も参加できることを期待しているところである。交易と投資の面で北東アジアの経済協力は、過去10余年において著しい進展をみせている。しかし素早い機能的な経済統合とは対照的に、交易と投資の面での制度化は不十分であった。一方で、北東アジアの経済協力の初期に関心の対象であったエネルギー、鉄道および環境部門においては、その間様々な論議と談論が提議されていたにもかかわらず、実質的な成果は期待に及ばない。北東アジアの経済協力のもうひとつの特性は、北東アジア地域内での国際政治的与件から求められる。世界的に脱冷戦、脱国家民族主義が進んでいるなかで、北東アジア地域では未だに冷戦と国家民族主義が常在しており、これは北東アジアの経済協力の制度化に重大な制約要因として作用している。

長い間、北東アジアの経済協力のビジョンとして、北東アジア経済共同体が使われていたが、北東アジア経済共同体が、北東アジアの経済協力の究極的な志向点であることには別に異議はないと思われる。問題なのは、経済共同体から連想されるヨーロッパ統合と北東アジア地域の現実との間の距離感のために、北東アジア経済共同体というビジョンが、北東アジアの経済協力を増進させる求心点としての役割を果たしていないことである。

したがって、筆者は現時点において、北東アジアの経済協力に関する論議の焦点が、北東アジア経済共同体という究極的なビジョンではなく、より現実性のある長期目標にあてられるべきだと思っているし、その具体的な案として、『北東アジア経済協力体』の構想を提案する次第である。

経済共同体は、一般に超国家的な執行機構の形成を意味するが、これは近い時間内に北東アジアで実現しにくいことから、政府間の協議機構である北東アジア経済協力体を目標に設定しようとするものである。

北東アジア経済協力体は、概念上2つの大きな柱によって成り立っている。一つは、北東アジア経済協力の主要部門であるエネルギー、物流、環境などの分野で協議機構である部門別の協議体が構成されたのち、これらの集合体として北東アジア経済協議体を設ける。特定部門での協力だけでなく、各種の懸案問題に対する論議や、共同事業の推進および評価など様々な事項を取り扱う協議機構としての役割を果たすことができるだろう。そして、制度的な経済統合の性格を有する北東アジアFTAがもうひとつの柱である。ヨーロッパとは異なって、関税同盟や共同市場を追及することは難しいが、法的な拘束力をもつ北東アジアFTAによって、北東アジア経済協力体が、単なる地域国家間での協議機構ではなく、地域協力体としての位相をもつことができると期待できる。

[ERINA翻訳]