「カジノの森」に関する思考

|中国

過去の20年間で、中国の観光業は大きな発展を遂げた。まさに隔世の感があり、かつて無名な「後輩」であった中国は、今では世界における観光大国の隊列に連なることとなった。国際社会の中国に対する関心も、往時の「中国を訪問する」(China visit)ことから「中国からの訪問者」(Chinese visitors)へと変化してきた。これは、中国人にとって喜びと誇りを感じることであり、さらに中国人に「中国は世界を必要としており、世界も中国を必要としている」という考え方を確信させた。

しかしながら、筆者は最近心配なある状況に気づいた。世界が中国の観光市場にフォーカスを当てる時、私たちの周辺の隣国は申し合わせたかのように中国大陸を取り囲んで、こんもりした「カジノの森」を築き上げた。マカオは言うまでもなく誰でも知っている「賭博都市」であり、長い歴史を持っている。ここ数年、賭博の範囲が拡大されたことにしたがって、陸地や離島を問わず、莫大な資金が注ぎ込まれ、新しいカジノを建設するブームが巻き起こった。まさに、さまざまなカジノの神々が降臨した様相である。

統計では、2005年初めには、中国大陸の周辺に200余りの大小の賭博場ができた。北のロシアから南のベトナムまで、さまざまなカジノが広く分布している。韓国でもカジノが開かれ、日本も幾つかの都市でカジノが開かれた。遠くオーストラリア、エジプトなどの国も、中国国民の重要な観光目的地であるが、すでに相当な規模のカジノが開かれた。最近、中国の観光客が比較的集中しているシンガポールでも、莫大な金額を投資し、大規模なカジノを建設すると発表した。聞くところによれば、これらの国は、自国の国民、特に公務員と公職に就いている人の賭博行為に対して大変厳しく制限している。しかし、マスコミのさまざまな報道と念入りに製作されたコマーシャルからもわかるように、これらのカジノは中国大陸を重要かつ主要な目標の市場とする意欲を示し、中国人の財布を狙っている。

隣国の政策に口を出す気はない。そもそも彼らには自分の判断があるだろう。ただ、これらの動きに対して少々困惑している。誤解があるかもしれないが、例を挙げて分析してみよう。例えば、すべての中国人を博徒と見なさないでほしい、あるいは中国の観光客が海外に行く主要な目的は賭博であると思わないでもらいたい。実は、増えつつある中国の海外旅行者の主な目的は視野を広げ、見聞を広め、異国文化を体験しようということである。あるいは普段の環境からしばらく自分を解放し、のんびりと体を休み、休日を過ごすためである。

確かにかつて中国では、政府部門や、企業の権力を握る人々の中に、自分の権力と国家による監督管理上の隙間を利用し、したい放題でカジノに莫大なお金を惜しげもなく使ったことがある。しかし、中国政府は断固たる措置をとり、法律制度と教育を強化してきたため、おそらくこのような人々にとってのチャンスは次第に無くなるだろう。このような人に賭けていた幾つかのカジノが盛んになる以前に衰えていった事実は、この産業の新しい投資者に警鐘を鳴らすことができるかもしれない。

また、国際的な賭博業界にも変化が起きていることに注目すべきである。いくつかのカジノは文化産業の発展に関心を持ち、文化芸術、娯楽の要素を増やし、命賭けでギャンブルすることの魅力を弱め、都市のイメージを変化させることに努力してきた。カジノの建設を提唱する現地政府は、大体地域外の人がギャンブルのためにやってくることを望んでいる。しかし、カジノの規模拡大が現地社会に与える悪影響も決して軽視できない。社会コストを増やすことを基にして経済利益を獲得するチャンスを狙ってはいけない。賭博業は古くからの伝統的な産業であり、賭博を好む人がいることも珍しくない。この産業も確かに儲かる産業である。しかし、人間社会の健康的な発展のために、少数の人々の一時的な理性喪失のために行動するのではなく、我々の知恵を人類福祉の増進や、人類の継続的発展に使うべきだろう。

中国の観光客はさらに理性的に、冷静になれることを信じてもらいたい。カジノを中国の海外旅行市場の開放に賭けることは決して賢明ではない。それは大きいリスクを抱えることである。良識のある研究者として、カジノ建設に夢中の投資者に忠告を申しあげたいのは、罠と墓穴を掘ることに目を向けるのではなく、善行を積み、人類の健康のための浄土を築き上げようということである。古人の諺にも「己所不欲勿施於人」(おのれの欲せざるところを人に施す勿れ)というではないか。

[ERINA翻訳]