「南の島」のゴジラと「北の島」のゴジラ

|朝鮮半島

1960年生まれの私にとって、ゴジラは小学生時代のヒーロー(ヒロイン?)であった。東京の下町を無慈悲に焼尽した1954年のゴジラ第1作とは異なり、60年代のゴジラは優しい正義の味方になっていた。そして、そのゴジラは「南の島」で活躍していた。巨大なシダ植物が茂る「南の島」で日本の探検隊が怪獣に遭遇し、それをゴジラが助けるという場面が今でも記憶に残っている。

ところで、第1作以来ゴジラは日本列島を何度も襲ったが、管見の限り、在日米軍がゴジラと闘ったことはない。日米安保条約があるにもかかわらず、である。しかし、それは当然のことであろう。原水爆と空襲のメタファーであるゴジラは、実はアメリカそのものでもあるからである。

アンチ・ヒーローから正義の味方に転身した60年代のゴジラは、どうして「南の島」の日本人を救ったのか。「南の島」を東南アジアの表象と捉えれば、合点が行こう。高度成長をひた走る日本資本主義にとって、アメリカは、東南アジアという魅力的な市場を「共産主義」から守ってくれる正義の味方であったのである。

60年代に少年時代を過ごした私たちの世代にとっては、アジアといえば熱帯密林の東南アジアであった。それとは対照的に、北東アジアに対するイメージは貧弱だった。北東アジアといって思い浮かぶのは、高校時代に読んだ欧州貧乏旅行記や五木寛之の小説に出てきたナホトカの港ぐらいであった。東西対立による北東アジア地域の分断が私たちの心象にも反映していたといえる。

やがて中国の開放政策とソ連解体を経て北東アジアがにわかに脚光を浴びはじめたころ、南北を逆さまにした日本海周辺の地図に接して、日本海がまさに地域を結ぶ地中海であったことに初めて気付かされた。朝鮮の近代農業史を研究する者として北東アジア地域にそれなりに関心を持ってきたはずなのに、心象風景は少年時代のそれとほとんど違っていなかったようである。

北東アジア地域分断の根源には南北朝鮮の軍事対立がある。近年、その両国は平和共存のための試みを積み重ねてきているが、ここにきて軍事的緊張はむしろ高まりつつある。

ところで、1955年のゴジラ第2作では、ゴジラは北海道北方の島で氷づけにされた。北東アジアの軍事的緊張がやがて熱を帯び、ゴジラを覆ってきた「北の島」の氷を解かしかねない。繰り返しになるが、ゴジラは原水爆と空襲のメタファーである。原水爆のイメージは、北東アジアの今の状況に対してアメリカが負うべき責任の所在を示唆している。また、空襲のイメージについては、被害者の立場にとどまらずに日本のアジア侵略の帰結としてそれを捉えようとすれば、日本が今なお負っている歴史的責任の所在を指し示してくれるのではないだろうか。