人生、生きてみなければ判らない

|朝鮮半島

先日、韓国で開かれたある学会で、70歳半ばのある老先生にお会いし、その波乱万丈の半生についてお聞きする機会に恵まれた。

その先生は、もともとはある官庁のキャリア官僚として職業生活をスタートされた方だった。1950年代末に若くしてアメリカに留学され、その後は幹部候補生として将来を嘱望された。ところが、次官の有力候補として名が挙がったちょうどその頃、朴正熙大統領の暗殺そして全斗煥政権の成立という権力配置再編のあおりを受けて、先生はその官庁において非主流の立場に追いやられてしまった。結局、キャリア官僚としての生活を断念せざるをえず、その官庁が所管する研究所のヒラの研究員へと転身された。50歳代にして、研究者としての道を新たに歩み始めることとなったのである。その後は、一念発起して歴史研究者としての業績を重ねられ、学会の重鎮として今日でも活躍されている。

先生の少年時代、日本の植民地下にあった朝鮮には、朝鮮総督府によって近代的な学校教育制度が導入されていた。しかし、地方両班家に生まれた先生は、親の方針によって、伝統的な漢文教育の訓練を授けられた。当時は、漢文教育だけでは中級学校以上への進学は困難であった。先生は、親の反対を押し切って中学校に進学された。家出同然だったという。この決断が、結果的にはその後のキャリア官僚への道を開いたといえる。ただし、その数十年後、少年時代に身に付けた漢文の素養が、先生の歴史研究にとって大いに役立つことになる。

この先生が、口ぐせのように「人生、生きてみなければ判らない」とおっしゃっていた。植民地支配、解放、軍事独裁政権そして民主化という朝鮮(韓国)近・現代史の政治的文化的な激動を、「戦争を知らない」戦後世代の日本人が追体験するには、よほどの想像力が必要である。しかし、先生のユーモラスな口ぶりからは、この激動の時代に翻弄されながらも誠実に生き抜いてきたひとりの韓国人知識人の感慨を感じ取ることができたように思えた。

人生、生きてみなければ判らない。この表現がリアリティーを湛えるほどに、「人生を最後まで生きることができなかった人々」のことに思いが及ぶ。先生にとって人生の転機となった全斗煥政権成立は、韓国社会にとっても深刻な試練の時期であった。とくに光州の市民にとってはそうであった。数多くの市民が、無念のうちに国家権力によって命を奪われていったのである。

人生、生きてみなければ判らない-なんとしても人生をまっとうしなければその甲斐がない。この感慨は、先生個人にとどまらず、多大な犠牲のうえに民主化を達成してきた韓国の人々に広く共有されているといえよう。近い将来、たとえ、かつての軍事独裁政権に由縁をもつ政権が成立することがあったとしても、韓国社会に共有されているこの感覚を無視した上で、時計の針を無理やり逆さまに回すようなことはもはや不可能であろう。