胡錦涛訪日と新たな日中共同宣言

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メディアの伝えるところによると、4月にも中国の最高指導者である胡錦涛共産党総書記兼国家主席が日本を訪問し、中国側はその際、新たな日中共同宣言を締結するよう求めているという。これまでの経験からすると、共同宣言の取りまとめ如何によって、中国の最高指導者の訪日の成否、そしてその後の日中関係の浮き沈みが決定されることになる。

日中はこれまで3つの共同文献を締結した。1972年国交回復時の「日中共同声明」、1978年に現福田首相の父親である故福田元首相が中国側と締結した「日中平和友好条約」、1998年に江沢民中国国家主席が訪日して小渕首相と結んだ「日中共同宣言」である。

3番目の共同宣言は、当時の中国の最高指導者が訪日時に作ったものである。周知の通り、江沢民はこの共同宣言に強い不満を持ち、それが原因で締結式も開かれず、江沢民と小渕による首脳サインも行われなかった。江沢民の訪日は失敗し、それはまたその後、10年間にわたる日中関係の後退・悪化の幕開けでもあった。

こうした失敗の経験からであろう。筆者が接触した日本の有識者の多くは、左翼や右翼を問わず、新たな共同宣言の締結に賛成しない態度を表している。日本政府はジレンマに直面している。新たな共同宣言は作りたくないが、中国側の「熱意」を前にして「NO」ともいえない。2月現在の状況では、流れは作るほうに向かっているようである。

中国側はなぜこれほど共同宣言の締結に拘っているのだろうか。日中関係の前進云々という思いもあるだろうが、中国の最高指導者としての政治的性格によるところも大きい。中国の最高指導者は、日本の首相のように代わる代わる務めるものではなく、中国国家と人民を統治・代表する「偉大な領袖」である。偉大な領袖がなさることだから、当然偉大な成果が伴う。つまり中国側にとって、共同宣言の締結が伴わない最高指導者の訪日は、始めから想定外である。

では、どんな共同宣言を作ればいいのだろうか。

10年前の江沢民訪日の失敗は、共同宣言の中の歴史認識問題についての言葉遣いに原因があった。小渕首相は98年10月に来訪の金大中韓国大統領と結んだ「日韓共同宣言」に「おわび」という言葉を使ったが、1ヵ月後の11月の江沢民との「日中共同宣言」には「おわび」の使用を頑として拒み、今まで使ってきた「反省」を繰り返したのみであった。江沢民はそれに激怒した。

歴史認識問題の取り扱いの難しさは、中韓など相手国だけではなく、日本中の右翼や左翼にも納得してもらわなければならないところにある。が、ここ10年間、日中韓のぶつかり合いの中、さまざまな「成果」も生み出され、それらが「前例」として今日の選択肢にもなり得る。

さまざまな前例の中、「小泉首相ジャカルタ演説」(05年4月22日)が最も利用しやすいだろう。小泉さんは演説の中で歴史認識問題について次のような言葉を用いた。

「我が国は、かつて植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。こうした歴史の事実を謙虚に受け止め、痛切なる反省と心からのおわびの気持ちを常に心に刻みつつ、我が国は第二次世界大戦後一貫して、経済大国になっても軍事大国にはならず、いかなる問題も、武力に依らず平和的に解決するとの立場を堅持しています。」

新たな日中共同宣言には、上述の「小泉ジャカルタ演説」を使えばいい。

まず、この発言は歴代首相の中で最も新しく、かつ徹底的な謝罪発言である。

次に、この発言は日本の首相が初めて大規模な国際首脳会議の場で公式に行った謝罪発言であり、世界に向けた公約のような性格のものである。その会議はバンドン会議50周年記念としてインドネシア首都、ジャカルタで開かれたアジア・アフリカ首脳会議であり、106カ国の元首と政府首脳が参加した。

さらに、この「小泉ジャカルタ演説」は、中韓や日本の左翼が頷くしかないだけではなく、日本のさまざまな右翼たちも反対し辛いものである。右翼たちにとって、小泉さんは青嵐会以来の古参の右翼であり、その上、あの中国に毅然として対峙してきた我が領袖である。

では、胡錦涛訪日の準備に取り組んでいる日中の実務者たちは、小泉さんを都合よく利用しよう。小泉さんは中国から最も嫌われているのに対し、日本の右翼より最も好かれているが、皮肉にも日中は「小泉ジャカルタ演説」を叩き台とすればコンセンサスが得やすくなるであろう。