東シナ海ガス田:日中関係のトゲ抜きと日中中間線の突破

|中国

6月18日、日中両国政府は東シナ海ガス田問題についての「日中合意」を発表した。その内容は、左中右、さまざまな立場に立って吟味してみたところ、どんな立場からみても「日中関係のトゲ抜き」と「日中中間線の突破」との2点が結果であった。言い換えれば、「日中中間線の突破」をもって「日中関係のトゲ抜き」が実現したという結果であった。

誰が中間線を突破

東シナ海における日中間の排他的経済水域の境界線、つまりEEZ境界線について、「大陸棚自然延長論」に立ち、大陸棚が及び沖縄トラフを境界線と主張する中国に対して、日本は両国の海岸線から等距離の地点を結んだ日中中間線を唱えてきた。

要は、いわゆる「日中中間線」が日本の主張であるが、今回の「日中合意」によって突破されたわけである。それを突破したものはいうまでもなく中国である。

今回の「日中合意」は、周知の通り、日中中間線を跨ぐ2,700平方キロ、ほぼ神奈川県の面積相当の「日中共同開発区域」を設定した。この合意に基づき、中国は中間線の日本側で経済活動を行う権利が日本から認められたことになり、日本が主張している日中中間線が破られてもいいラインになったわけである。

勿論、日本も中間線の中国側で経済活動を行う権利を得たことになるが、日本は今日に至るまで中間線の中国側にEEZを求めたことはなく、これからも求めることはないであろう。それに東シナ海のこの海域でガス田の開発を行ったこともない。

ところが、対する中国側は中間線の日本側、沖縄トラフまでを中国のEEZと主張し続け、そして細々と20数年間海上ガス田の開発を続けてきた。今までは全て日本が主張する中間線の中国側でしか活動していないが、これから中間線を越えることが理論上できるようになった。

もし、東シナ海ガス田が日中間で問題にならず、そして日中が東シナ海ガス田のことを交渉せず、あるいは交渉をしても合意に至らなかったら、中国勢は日中中間線の中国側で細々とガスを掘り続けるだけになり、日中中間線を破って越えることはなかっただろう。

ちなみに、この海域からたいした量のガスが出てこないことは、皆わかっている。中国のガス田はそんなに長寿者にならず、そのうち枯れて廃棄されてしまうだろう。東シナ海が静かな海に戻るのは、時間の問題である。

誰が作ったトゲ

では、誰が東シナ海ガス田を問題化し、日中関係のトゲに作り上げたのであろうか。

東シナ海ガス田の問題化のプロセスを追ってみよう。

始まりは2004年5月28日、この日に名古屋の「中日新聞」は、中国が東シナ海日中中間線付近の中国側でガス田を開発していると報道した。1日置いて全ての主要な新聞やテレビ等メディアも騒ぎ立てるようになった。そして10日後の6月8日、日本の外務省は公式に中国側に問題を提起した。

中国による東シナ海ガス田開発は、決して2004年頃に始まったものではない。はるか80年代半ばから20年間、しかも中国の独自開発ではなく、アメリカ、イギリス、オランダの石油メジャーと共同で開発活動を行ってきた。そして過去20年間、日本から問題提起されたことはまったくなかった。

お分かりだろうが、日本側が東シナ海ガス田を2004年6月の時点で問題化したのである。

日本の外交筋に、その理由を聞いたことがあるが、お決まりのあいまいな回答を吟味して、次のような自己流の解釈にまとめてみた。

中国による東シナ海ガス田開発が、すべて日中中間線の中国側で行われ、また大した量のガスが出そうもないことから、中国のこんな開発は、むしろ中国が日本の主張である日中中間線を認めて守っているという既成事実を作った。日本にとって立場的に有利な出来事であるため、日本側は黙って見守っていた。しかし、2004年に日本は国策の転換を行った。

この時期の小泉政権は、首相による靖国神社参拝、東シナ海ガス田の問題化、日米同盟の戦略目標に台湾条項(05年2月)、日米豪印連携や「自由と繁栄の弧」といった価値観外交の理念と政策の提起等、中国との対立を起こしそうなイシューを全て打ち上げた。

東シナ海ガス田の非問題化

日本が2004年に東シナ海ガス田開発を問題化したのは、当時、中国側が海底から中間線日本側のガスを吸い取ってしまうことがわかってきたからだという説明もある。当時の麻生外相はストロー効果を例えにして中国外相に迫った。

実はこの麻生のストローロジックこそ太平洋対岸のアメリカを慌てさせたものであった。国分良成(慶応大教授)によると、2005年、アメリカでは、東シナ海での日中間の武力衝突が生真面目に予想されて議論されていた。

日本の政府と世論は気づいていないが、麻生のストローロジックはフセインが元祖であった。あのイラク大統領だったフセインである。フセインはクウェートへ軍事侵攻したとき、クウェートがルメイラ油田で地下からイラク側の資源を吸い取ったと主張していた。日本政府は世界でイラクのフセイン政府に続いて、ストローロジックを用いる2番目の政府であった。

世界では、油田やガス田は複数の国を跨ぎ、また複数の開発会社を跨ぐことがいくらでもあるが、業界の常識では、100メートルの間隔をとればいいこととしている。中国の東シナ海ガス田は、日中中間線から5キロメートルも離れている。したがって、世界の目から見えたのは、日本の非常識であり、しかもフセイン・ストローロジックを平気で使う非常識である。

日本の立場を支持する国は、国際社会に1つもなかった。アメリカはフセイン・ストローロジックをよく知っているからだろうか、小泉首相の「中国観」を心配し始め、05年11月に京都でブッシュ大統領が自ら小泉首相に敲いたほどであった。中国の反日デモ行進、アメリカからの関係改善の要請、国際社会における日本の孤立等の圧力下、小泉首相は中川経済通産大臣の反対を押し切って中国の共同開発交渉の提案を受け入れた。ただし次の安倍政権を含めて、交渉はするが合意はしない、つまり非問題化はしないという姿勢であった。

2007年9月から、福田政権の時代、日中間の首相の靖国参拝問題は勿論なくなった。日米同盟の戦略目標にある台湾条項は、安倍政権の時にもアメリカから外されてしまった。いわゆる価値観外交は、阿倍政権が一生懸命頑張ったが、福田首相はあっさりとそれを放棄した。そんな日本の国策再転換の中で、東シナ海ガス田問題は日中関係の最後のトゲとなった。そこでトゲを作った日本側は、責任をもって多少の譲歩をして非問題化に持ち込んだわけである。

今回の日中合意は、東シナ海ガス田問題を非問題化することを通して、日中関係の最後のトゲを抜くことに、両国当局の目標があったと思われる。今後、日中中間線の交渉が棚上げにされることになり、またそれほどの量のガスが出そうもないところから、相当規模の共同開発もありえないだろう。ただし、この合意によって、東シナ海ガス田問題は両国の世論の視野から消えていく。つまり問題解決という決着ではなく非問題化されていくというハッピーエンドである。