日中を越えて

|中国

経済の膨張、国際化の進展、デカップリング議論など、中国は経済大国の様相を益々強めている。そしてインドやロシアもその存在感を増す一方で、米国の相対的低下に関心が高まる。

そんな中で、どうも日本の中国に対する立ち居地が見えて来ない。

1980年代までは何事も「日中友好」が前面に出て、中国に関する日本での議論は政治でも経済でも二国間問題がほとんどであった。外交、経済、文化いずれの交流も中国語を解するプロが大活躍だったし、中国側からみても日本語通訳が大きな影響力を有していた。だから一般の日本人社会では相変わらず閉ざされた特殊な国との印象だった。しかし、天安門事件で政治社会や制度の矛盾を曝しながらも中国は前進し、2001年WTO加盟を契機に気がついたらあっという間に国際経済の中央舞台に踊り出るようになった。テレビや書籍を通じて中国関連情報は氾濫し、「いまや中国に追い越されそう、追い越された」との心理状態が生まれ、その強大さに脅威を感じるようになっている。

中国の現場にあって肌で感じたことは「中国は日本だけを向いていない」という当たり前の事実であった。中国人が日本を知る機会、中国にとって日本のウェイトが相対的に小さくなっている。それに反して、日本ではメディアを通じて中国情報があふれ、反日行動やネガティブな現象ほど反復されやすい。対外開放直後の1980年代、経済の発展助走段階で日本の影響は大きく、限られた情報の中で日本の存在感は大きかった。しかし、その後中国は着実に、かつ堂々と対外交流活動を展開、政府もこれに合わせて積極的な首脳相互訪問を展開するようになった。政府官庁のアジア関係スタッフも昔のように日本だけを相手にしていられなくなった。中国外交部の方から対日パイプが細くなっているとの嘆きを聞いたことがある。それは国交回復前夜から前世紀末との比較においてである。交流の量自体は大幅に増えたにも拘らず、である。両国政府もこれを実感し、若手の相互交流に積極的な支持を表明、地域社会貢献の一環で後押しする日系企業が増えてきた。

一時、一場面だけの現象をとらえて煽動するような言動に翻弄されるようなことは、双方とも避けなければならない。メディア業界を中傷するつもりはないが、事実を伝えることが使命であるはずが、結果として視聴者に誇大なあるいは偏った印象を与えてはいないか。

中国に媚びたり弁護したりするつもりは毛頭ないし、好き嫌いで論じるつもりはない。でも「追い越した、追い越された」とか、「好きか嫌いか」、「優越感、劣等感」など比較論で関係を判断していいものか。世界が複雑化する中での互いの国益、立場を認識し合い、どう付き合うかを改めて考える時期にある。今回の餃子農薬混入事件も、互いの立場を主張しつつも双方当局が坦懐に事実解明に努力されることを期待したい。

近い国だからこそ、互いに表裏のある交渉にならないことを願っている。