いわゆるチャイナスクール

|中国

閉ざされた時代、対外開放前の中国においては、希少な日中友好人士の活躍があったが、その後の中国との交流でもシニカルに「中国屋さん」が担って来たとの認識があった。中国に関与する人たちは、特殊なイメージを持たれる限られた人材だった。その人たちは外務省の地域スペシャリストに准えて「チャイナスクール」と呼ばれることもある。一般的には中国語(年配の方はシナ語と呼ぶ)を解し、中国に人的ネットワークがあり、中国に没頭している一群がそう認知されているようで、どこかに疎外感もあった。

ただ、現在の日中交流はもはやそんな「チャイナスクール」だけの時代ではなくなった。中国に携わる方の中には、そんな区別意識はないようだ。大学でも企業でも、中国語を勉強する人が急激に増えたし、経済的な繋がりが深まり、人の往来も増えて、メディアや書籍を通じた情報も多い。好き嫌いにかかわらず、お互いに関与が避けられなくなっている。

しかし、それでも中国は遠いと感じる。欧米と比べてまだ遠い。アジア諸国と比べても遠い。なぜか。それは体制の問題を理由に、中国は不透明、閉鎖的な社会と見られがちであることと、歴史的に疎遠になった背景から、敬遠したり、その台頭に納得行かないと思う人もいたりするからか。畏れながら、日本の政財界トップや、知識などで現代社会に影響力のある人々が、これまでの人生で中国との交流がブランクになっていたことも関係しているかも知れない。

いわゆる脱亜入欧の思想、戦後の冷戦構造の中で遠くになってしまったと言える。

隣国の実態はどうなっているのか、中国を観るになぜ海外からの情報に頼らなければ行けないのか。米国と与するのと同様に、中国との関係強化が日本の安全保障上で必要なことなのか、どこまでその進展があり得るのか。中国は日本をどう観ているのか。そのような気持ちがモチベーションになって中国に関わり出した人も少なくないし、そんな人たちから「チャイナスクール」が生まれている。そう考えれば「チャイナスクール」=「中国好き」、「中国しか知らない輩」、「特殊」と言われるのはもはや心外だ。

もちろん今の「チャイナスクール」に求められるのは、ややもすると中国人の方が優れて持つ世界観だ。中国だけを知っているような狭窄な視覚でもの申すようでは困る時代だ。

多くの日本人が感じるように中国のグローバル化は猛スピードで進んでいる。脅威だ、友好だ、と情緒的に世間を煽るだけでは、或いは目先の利益だけを求めるようでは、お互いのホンネは見えて来ないし、あるべき日中交流での使命も果たせない。

客観的に実態を追求、分析するためにも、チャイナスクール人材は、今後も必要である。