亡き父の思い出と日中関係

|中国

2007年も年の瀬となり、恒例ではあるが今年一年を振り返ってみると色々と思い浮かぶ事の多い年であった。

時節柄、今年も何枚かの「喪中につき年始挨拶のお断わり」という通知も来始めて、我々団塊世代の親世代が鬼籍に入りつつある時代背景をつとに感じる今日この頃である。

最近ふとしたきっかけで伊藤桂一氏(1917年生まれの直木賞作家)の手になるインタビュー形式の新書版「若き世代に語る日中戦争」を手にして読み上げたが、今年3月に92歳で永眠した父の事を思い出してしまった。

時代的には伊藤氏と多少ずれてはいるが、父の場合、満州事変・日支事変と2回の日中戦争に参加しており、どんな思いで戦争に参加し今日の日中関係をどの様に思っていたか殆ど話を聞かずに逝ってしまった事が、今となっては悔やまれてならない。

団塊の世代に属し、高校から大学にかけて当時のベトナム戦争反対の時代の雰囲気の中で、父に反発し、父を軍国主義者と批判し、中国語を専攻して今日に至っている自分に対し、生前父は敢えて多くの事を語ろうとしなかったのかもしれない。

晩年、父が世話になっていた老人介護センターの誕生会の寄せ書きが残っているが、それを読むと、父は世話をする若い職員の人達に随分戦争時代の話をしていて、平和の尊さを説いていた様であり、身内には言えない話を外では気軽に話していたのではないかと思うと、昨今の親子のコミュニケーション問題もあるが、改めて心が痛む思いがする。

折しも今年は、日中国交回復から35周年の節目の年を迎え、昨年の安倍総理訪中から本年4月の温家宝総理の訪日で日中関係は劇的に好転し、“戦略的互恵関係”を双方高らかに歌いあげる関係となりつつあるが、今年はまた日中戦争開戦70周年の年でもある。

日中関係は“対立から協力”“2国間から地域”への時代の流れの中で、今後本当の意味で中国とどう付き合っていくべきかが、経済関係の緊密化に留まらず、政治家から国民レベル迄一個人としての日本人として問われ、考え直さなければいけない時期に来ているものと思われる。

1982年、自分自身の最初の北京駐在前に父と母が上京した折、九段会館で一緒に食事をとった際に、「平和な時代に北京に駐在し仕事が出来るという事をありがたいと思いなさい」と戦争でしか中国に渡れなかった父の悔しい思いを聞かされた事がある。

その後2回北京駐在を続けたが、誘っても父は余程中国での鮮烈な思い出があってか、最後まで中国へ来ることはなかった。

但、1989年の天安門事件の後、家族と一緒に一時帰国した際に「中国の人は長い戦乱の中でたくましく生きてきている人達であり、粘り強く、また人をよく観る賢い人達故に、日本人としてしっかりした誇りと器量を大きく持って接する様に」と心構えを諭された事が昨日の様に思い出される。

伊藤桂一氏の本にもあるが、日中戦争と言っても毎日戦争をしたわけでもなく、純朴な村人達との心温まるエピソードもあったりして救われた思いもある。

純朴な村人達と言えば、最近放映されたNHKの“関口知宏の中国鉄道大紀行”はこの時機に中国を考える上で大変良い番組であったと思う。

関口氏の気取らない人柄も好感を呼んで、それ迄マスコミの影響を受けて中国食品の安全性などで中国嫌いになっていた妻も大ファンになり付き合って見ていたが、鉄道で中国の至る所に立ち寄って土地の人との暖かい自然なやりとりをするのを見ていると、やはり草の根での触れ合い、交流の大切さが充分伝わって来る。

1972年の日中国交回復当時の日中間の往来は年間1万人位であったが、今年は恐らく500万人近くに上っているものと思われ、当時に比べ約500倍の水準に達している。

しかし、人の往来が多くなるにつれ、日中間の理解が本当に深まるかどうか。戦前の中国に日本人がどれくらい生活していたかを考えると、ある種複雑なものがある。ここでも“量より質”が問われている。

ある意味では、今日は中国の情報が溢れすぎて中々本質を見抜けない点もあることも反省しなければならない。

今、戦争の生き証人の世代の人達が消えて行く中で、“変わる中国”“変わらぬ中国”をしっかり見抜き、困難な時期に日中をこれ迄結び付けて来た先達の労苦を思い浮かべながら、これからの日中の永続的な友好関係の維持に微力を尽くして行きたいと思うこの頃である。