価値観の共有化をめざして

|中国

ベストセラーの新書「世界の日本人ジョーク集」を書いた早坂隆氏が最近新刊の新書「ジョーク対決中国人VS日本人」というのを書いて居られて、その中に

中国人 「日本にとって中国は友人ということだろうね」
日本人 「いや、友人というより兄弟というべき仲だよ」
中国人 「どうして?」
日本人 「友人は選べるけれど兄弟は選べないからね」

いうのがあって、昨今のギョーザ問題などもあり、つくづく日中は引越し出来ない兄弟の様などうしようもない関係になっていることを感じる。

かなり前の話であるが、結婚60周年を終えた老夫婦に、長い夫婦の関係を円満に維持する秘訣を聞いたところ、次のような3つの答えが返って来た。それは

(1) お互い実家の悪口は云わない
(2) 過去のあやまちについて深く追求しない
(3) 二人が出会った出発点の頃の共通の話題を何度も口に出し確め合う

という内容であり、なるほどと思った事がある。

もちろん、皆、頭で分っていても実際になかなか実践出来ないという部分はあるにしても、今の日中関係をみれば、これに近いものがあるのではないだろうか?

昨年の日中国交回復35周年や、今年の日中平和友好条約30周年と銘打って色々と記念行事をやることは、恐らく老夫婦が云う(3)の部分に当たるのであろうが、(1)、(2)については中国の体制自体に対する不信感や歴史問題などもあって、今なおスッキリしておらず、これに昨今の様なギョーザ問題等が加わると、マスコミの報道もあり、一挙にバイアスがかかってお互いに嫌中、反日へと突き進んでしまう恐れのある関係は依然として存在している。

ギョーザ問題の真相解明という事について云えば、よく中国人と日本人の考え方で何が一番違うかと問われると、「日本人は、真実は一つと思い込むナイーブな処があるが、中国人は真実は複数で沢山あると思っている」という云い方がある。人によっては「都合の良いように真実を変える」という人もいるが、中国側と交渉していても、この点、今迄よく体験させられた方が多いと思う。よく解すれば中国の人は余り1つの価値観に頼っていないプラグマチックな処があると云えるのかも知れない。

価値観の多様性と云えば、以前、駐在時代に中国の人と食事した際、「日本では企業合併や大リストラで職を失ったり、配置転換されたりした人達が、悲観して中央線に飛込み自殺することが多いそうですね」と云われて戸惑った事がある。

今や交通事故で亡くなられる人より自殺する人の方が圧倒的に多く1日100人という話もあり、「中国ではどうですか?」と聞くと、その中国人は紙に「好死不如頼活着」(どんなきれいな死に方も辛いながらも生きてゆくことに及ばない)、更に「人比人気死人」(他人と常に比較すればしっとで自分自身を殺してしまう)と書かれ、中国の人達は、戦前の中国、更に文化大革命から改革開放の大きな変化を長い間経験して来ており、余り1つの価値観に固執していないから、自殺する人はそれ程多くないという答えであった。

しかし、昨今は中国でも自殺する人が増えて来ているという話を聞く。

掃除婦のオバちゃん迄も株の売買をやっている状況で、持金の殆どを株につぎ込んで、一喜一憂し、最近の株価低迷で悲観して自殺する人も出て来ているというから、中国も「向銭看」(金もうけ主義)という1つの価値観の中でしばられている現実があるということだろうか。

今、中国は、「科学的発展観」や「和諧社会」というスローガンの下に、グローバル化した国際社会の中で益々その大きな存在感を示しつつある中で、新たな価値観を模索している段階にあると思えるが、これから大切な事は、価値観を含めた真実を世界と共有化してゆく事ではないだろうか?

特に兄弟や長い間の夫婦関係にも似た日中両国は、お互いに過去を乗り越えて、虚心坦懐に双方で価値観を作り上げ共有化してゆく事に、氷のみならず心を砕いていかなければならないと思う此頃である。