北京オリンピックと民族主義

|中国

2008年もあっという間に半分が過ぎて、間もなく中国は8月8日から始まる北京オリンピックを迎える。

今年はまた、中国が鄧小平に依る“改革開放”の舵を切ってから丁度30周年の節目の年に当たり、日本との関係でいえば、昨年の国交回復35周年に続き日中平和友好条約30周年でもある。

当時の日本国総理が福田赳夫総理であり、30年後の今日、総理を勤めているのが息子の福田康夫総理というのも歴史の妙味である。

年明け早々、中国は南部を中心に大雪の被害に見舞われ、2月に入って日中間では、ギョーザ事件、3月には89年以来の大規模なチベットでの暴動が発生し、4月は世界各地でチベットにからみ聖火リレーのトラブルが相次いで、胡錦涛国家主席の元首として10年振りの訪日の後、5月には、四川で大地震が起き7万人近い犠牲者が出て、中国は大乱と言っていいほどの正念場の中で、中華民族の大同団結を唱えながら、北京のオリンピックを迎えようとしている。

思えば、中国のオリンピック誘地の道も平坦ではなかった。

WTO加盟と同様、早くからオリンピック誘地を準備していた1980年代後半、特に1989年に天安門事件が起き、その混乱を収拾する形で、その翌年1990年に北京でオリンピック誘地の前提となるアジア大会開催にこぎつけている。

私事に亘って恐縮であるが、1988年の2度目の北京駐在の年、末っ子の誕生があって、名前をつけようと中国の友人に相談した処、「1988年は龍の年で1976年もそうであったように龍の年は動乱が起きる」と言われ、思わず“龍の年の平和を祈る”という意味で“龍平”と名づけて、中国人から賞められた事がある。

結果は、翌年に天安門事件が起きて、一家で緊急避難帰国したが、中国の友人からは「中国では蛇の年を小龍年とも言うから、結局龍の年の動乱は避けられなかったね」と苦笑いされたものである。

序みに、2000年のシドニーオリンピックに北京が候補地として敗れた時、友人には、「2000年は龍の年だから、オリンピックはやらない方がよかったかも」と慰めたものであった。

龍といえば、中国では皇帝の象徴でもある。

チベット問題がマスコミを賑わしている頃、日本在住の中国の友人達と話していて、「今の中国の指導者達は、清朝の皇帝の知恵に学ぶべきではないか」との意見が出てびっくりした事がある。

それは何故かと聞くと、「清朝の皇帝は、領土拡大期にチベットやモンゴルを自らの勢力圏に置く為にわざわざラマ教に改宗して、北京にラマ教寺院の雍和宮まで建てて、異民族の慰撫に努めた」と言うのである。

勿論、封建王朝の時代の話であり、そんなきれいな話で済む状況ではなかったかも知れないが、中国の友人の一人は「それは清朝自身が少数民族だから出来たのだ」と言われて、妙に納得したものであった。

歴史上、中国の勢力圏が飛躍的に拡大しているのは、元や清などの少数民族が中国大陸を支配した時であり、少数民族の方が圧倒的な漢民族を支配する為のコスモポリタン性を持っていたからではないかという話になるが、今、満州族の人達はどこにいるかと言えば、殆ど漢民族と同化されており、その中国の友人も自分の祖父は満州八旗の一人であったと言う。

最後にダメ押しの様にその中国人から「日本は先の大戦で負けて島国に戻ったから日本人のアイデンティティを保って居られるのだ」と言われ、もし日本が中国を支配していれば、“大和民族は満州民族の様に同化されていなくなってしまっているかも知れない”と言われ、複雑な思いにかられたものである。

中国の国際化の象徴ともなる北京オリンピックで、今、大中華民族主義というものが昂揚されているが、最近とみに言われているネット民族主義とか五輪愛国運動を今後中国がどう克服していくかが、これからのグローバル化の中で問われてくると思われる。オリンピックの後、2010年の万博、そして政権交替となる2012年は龍の年であり、今改めて“龍平”を祈ってやまない。