緊張のこころを解いて

|ロシア

年間600万以上の人々が、癒しと安らぎを求めて訪れる「北海道」。食料自給率200%を超え、国民の食卓を支える「北海道」。多くの人に愛される北海道も、隣国ロシアの存在を抜きにしては、今日のような姿にはなっていなかったことでしょう。

ラクスマン、大黒屋光太夫、高田屋嘉兵衛、ゴロウニン・・・日露の歴史を飾る英雄たちの檜舞台となっただけではなく、各藩の武士たちによる北方警備、開拓と軍備を兼ねた屯田兵制度など、北海道を切り拓いてきた先人たちの血のにじむような努力は、常にロシアとの緊張関係をその動機としたものでした。

もちろん、「緊張」の中にありながら、国境としての優位性も、知恵を絞りながら活かしていました。100年ほど前、漁業を営んでいた私の曽祖父の一人も、ロシア人と海上で魚の取引をしていたと聞きます。しかし、北海道の地理的特性がにわかに脚光を浴びるのは、やはり、ゴルバチョフの登場、冷戦の終結を待たなければなりません。

1990年、北海道は、当時ソ連邦の一構成国であったロシアと対等な立場で「友好的なパートナーシップに関する合意」を結び、これをステップとして、1992年から「ロシア極東地域(沿海地方、ハバロフスク地方、サハリン州)との経済協力プログラム」をスタートさせました。農業、水産、建設など、ビジネスインフラの整備を中心に取り組みを進め、5年間の計画期間中、函館-ユジノサハリンスク定期航空路の開設や、「北海道貿易物産振興会ユジノサハリンスク事務所」の設置、稚内・小樽-コルサコフ定期航路の運航などといった成果を残し、現在は、3期目のプログラムが進行しているところです。

これら3地域の中でも、とりわけサハリンは、樺太出身者、引揚者が多い北海道の人々にとっては、いわば「心のふるさと」でした。1990年、火傷を負ったコンスタンチン君の緊急搬送も、そうした「ふるさとへの思い」がなせる技だったと思います。交通アクセスが便利になったことで、自ずと人の流れが加速し、また、石油・天然ガス開発プロジェクトの進展にあわせて経済交流の可能性も拡大してきたことを踏まえ、1998年、北海道とサハリン州とは「友好・経済協力に関する提携」を締結するに至りました。

こうした流れを受けて、2001年1月、道庁の出先機関として設置されたのが、私どもの「北海道サハリン事務所」です。当事務所では、道内市町村や民間団体の交流をサポートしているほか、地元の学生を対象とした日本語スピーチコンテストや、企業間のビジネスマッチングなどに取り組んでいます。

好調な経済を背景に、ビジネスパートナーとして注目を集めるロシア極東とサハリン。最近は、サハリンプロジェクト関連のみならず、食品、日用品など、実に幅広い分野の道内企業が関心を寄せはじめています。しかし、具体的なビジネスに繋がっているかというと、まだまだ不十分と言わざるをえません。

先人の記憶の底から深く刻まれた、ロシアに対する「緊張感」。北海道の発展には不可欠なエネルギーでしたが、今わき上がるビジネスチャンスをしっかりとモノにしていくためには、私たち道民一人一人の中に潜む、ロシアへの「張りつめた心」を、まず解きほぐしていかなければならないのかもしれません。