モンゴルFTA(自由貿易協定)形成への動き

|モンゴル

モンゴルにおける本格的なFTA締結の機運は2003年頃に始まる。当時、米国政府はWTO(世界貿易機関)の繊維協定(多角的繊維協定:Multi-Fiber Agreement)の下で、モンゴル産の繊維・アパレル品に輸入割当(import quota:IQ)枠を設けていた。そのお陰で、モンゴル製アパレル品は、割当枠の範囲であれば価格や品質に関係なく確実に米国に買い上げてもらえていた(当時、中国産に比べモンゴル産アパレルは労働コストが約5~10%は高いと云われていた)。しかし、同繊維協定が2004年末で失効することが確実になったため、それまで国内雇用を支えていた最大唯一の繊維・アパレル産業を存続させる新たな方策の一つとして最も有力視されたのが、米国とのFTA締結であった。モンゴル政府としては、「実質的に全ての関税を撤廃すること」(WTO協定のGATT第24条)が条件となるFTAを米国や日本などの先進国と締結できれば、自国の繊維・アパレル(カシミヤ)品の輸出および国内雇用も維持できると考えたのである。

当時、中国も同様の輸入割当枠を米国から与えられていた。中国のアパレル・メーカーの中には、モンゴル企業との合弁という形でモンゴル現地に工場を建設して、モンゴル産としても米国へ輸出していた。韓国のアパレル・メーカーもモンゴルに合弁で工場を建ててモンゴル産として米国に輸出していた(2009年現在でも、モンゴル現地企業の何社かは米国の大手小売りチェーン企業などへアパレル製品のOEM供給を続けている)。

ところが、ブッシュ大統領(当時)は繊維協定の失効する2004年以降も、途上国支援という理由でモンゴル産の繊維・アパレル品の輸入割当を数年間は存続させる方針を固め、これがWTOでも正式に承認された。これによって、モンゴル側の米国とのFTA締結の機運は一時的に沈静化に向かったのである。

一方、モンゴル経済にとって新たな好機が現れた。世界的な鉱物資源価格の高騰である。2007年のデータによれば、モンゴルのGDPに占める鉱業部門の割合は約30%、輸出総額に占める割合は80%近くに達した。まさに2000年代後半のモンゴルは鉱物資源(銅鉱の輸出)に支えられて発展したといっても過言ではない。

しかし、鉱物資源の国際価格は不安定であるために、鉱物資源の生産・輸出のみに依存するモンゴル経済は“脆弱”なままである。これから脱皮して安定した持続的経済に向かうためには、鉱物資源に加えて新たな産業を育成せねばならないことは、モンゴル政府(旧「産業通商省」)内でも当初より認識されてはいた。だが現実には(選挙公約のからみもあって)鉱物資源の価格高騰下で得られた“棚ぼた”(2009年4月9日付けの現地紙ウランバートル・ポスト紙はこれをwindfall copper revenuesと表記している)の利益が、新たな産業の育成へ配分されることはなかった。「ソ連の姉妹国家として計画経済時代が長かったモンゴルの社会には“貯蓄”の概念が希薄」と云う知見者の意見もある。

よって再びモンゴル政府は、FTA形成を睨んで関係各国と交渉を始めている。現在、先行しているのは米国政府との交渉であり、貿易投資枠組み協定(2004年締結)に基づく第四回目の二国間交渉が終わったところである。

なお米国政府は、ミレニアム・チャレンジ会計と称するモンゴル国内鉄道網の整備支援を2,500万ドルの無償資金援助とともに3年前に提案し、モンゴル政府もこれを受け入れ順調に進展しているかに見えたが、最近になってモンゴル政府側が受け入れ拒否の決定を下したようである。というのも、モンゴルの国内鉄道網は、1947年に当時のソビエト・モンゴル両国間で締結された鉄道協定に基づいて現在も合弁事業として運営されているため、モンゴル政府に加えて現ロシア政府の合意が必要であることなどのためである。関係筋の話では、これの埋め合わせとして、ロシア政府が2,500万ドル相当の資金援助をモンゴル側へ行うことになったという。

このケースでは、モンゴルを舞台にした米国とロシアの地政学的な思惑と対立関係が垣間見えることに加え、隣国ロシアがモンゴル国内の輸送インフラに、現在でも深く関わっていることを改めて認識させられる。