対角線の地、雲南を訪問して

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最近(3月中旬、1週間の日程)、中国の西南、雲南省を初めて訪れた。昆明市での雲南大学国際関係研究院との共同セミナー「GMS(Greater Mekong Subregion)開発をめぐる日中関係」、日系企業訪問、生花市場見学、730km(陸路)南西にある景洪(西双版納)への移動(帰りは空路)と、ラオスならびにミャンマー国境、メコン川港湾施設の視察等が主な目的であった。昨年より、メコン地域開発研究プロジェクトにも参加しており、今回の出張となった。中国東北、吉林省ならびに黒龍江省の中ロ、中朝の国境を越える地域経済交流について研究している者にとって、対角線の地域で展開されている事態に触れる機会をもてたことは大変貴重であり、考えさせられることが少なくなかった。

歴史をさかのぼれば南詔国や大理国など、独自の国家を形成していた時期もある雲南は、いわゆる少数民族が多数居住し、瘴癘の地として長い間恐れられていた。ただし、ベトナム、ラオス、ミャンマーと国境を接し、チベットとも隣接する交通の要衝として、中国の政治経済、軍事面できわめて重要な地域であり、明朝以降、漢民族の流入が続いている。日中戦争期の雲南は、隣接する四川省重慶に政府を移した蒋介石に対する英米の支援ルートとして重要な役割を演じた(石島紀之『雲南と近代中国―“周辺”の視点から』など)。

省都、昆明の近年の大きな変化の契機となったのは万国花博覧会の開催(1999年)である。都市インフラの整備とともに、国内外からの訪問客が飛躍的に増大し観光産業発展の契機となり、従来のタバコや茶の生産に加えて、生花、蔬菜、果樹などの栽培と関連ビジネスの拡大をもたらした。昆明郊外の農地はビニールハウスの白屋根で覆われ、生花市場は毎晩9時から取引開始、競り落とされた生花は、明け方までに昆明空港に輸送、朝第1便の飛行機によって国内外に輸送されている。

花博に続く2000年からの西部大開発は、道路整備を中心としたインフラ建設等を通じて雲南経済を活性化している。海抜を徐々に下げながら景洪に近づくにつれて、周りの山々には、茶に加えて、ゴム栽培が目立つようになった。タイ族の村では、大量の西瓜が道路脇の空地に積み上げられ、大型トラックの横で箱詰め作業が女性たちによって行われていた。畑ではバナナの房に袋がかけられていたが、糖度をあげるとともに、害虫を防ぎ、実の表面を美しく保つとのことであった。昨年秋以来の大干ばつの中でも、米作は継続し、苗代が作られ、田植えが始まっていた。

昆明の日系企業のビジネスパートナーの中国企業は、自然環境を生かした有機野菜を、計量し、トレーにラップがけ、産地表示等、価格シールを貼る直前の状態で、上海など大都市のスーパーやカナダ向けに出荷するビジネスで大成功している。そして現在、ミャンマーへの事業拡大を検討しており、スタートのタイミングを見計らっている段階とのことであった。

こうした雲南経済の変化の背景には、GMS経済協力によるメコン川地域開発の枠組みの存在が大きい。アジア開発銀行のイニシアティブで1992年に始まった同開発にはカンボジア、ラオス、ミャンマー、タイ、ベトナムの各国政府と並んで、雲南省が地方政府として参加し(2005年には、広西チワン族自治区も加入)、南北経済回廊(昆明―ハノイ、バンコク)をはじめとするインフラ建設、貿易、投資自由化その他の諸プロジェクトが実施されている(石田正美・工藤年博編『大メコン圏経済協力―実現する3つの経済回廊―』など)。

インフラ建設と貿易投資の自由化が、必ず国境の両側での地域発展をもたらすわけではない。ただし、開発金融も含む国際地域開発協力スキームの上に、花博開催、西部大開発という国内地域開発政策を重ねたことが、雲南省の今日につながっていることは明らかである。いくつかの新しい動きが伝えられる図們江地域開発が本格化するための条件を示している。