インド訪問記 ―人と農業と宗教の織りなす神秘的な一体感―

|中国

2009年の冬、インドの穀倉地帯を回った。インド最大の穀物供給地であるパンジャブ州、インド最大の1.7億人の人口を抱えるウッタル・プラデシュ州、バングラデシュに接する西ベンガル州である。この三州はほぼヒンドスタン平原に含まれ、政治の中心である首都デリー、ヒンドゥー教の聖地ヴァラナシ、仏教聖地のブッダガヤなどがあり、インドの古代文明の発祥地でもある。回りながら悠久たる歴史の包容力、奥深さ、そして現在の活気と混沌を肌で感じることができた。しかし、なんといっても強く印象に残ったのは、人と農業と宗教が織りなす神秘的ともいえる一体感である。

まず、人口密度には驚かされた。これまで、世界最大の人口を擁する中国の沿海地域こそ世界で最も人口密度が高いと思っていたが、ヒンドスタン平原にはかなわないと実感した。行った先々の都市も村も、どこでも人が溢れるようにいっぱいおり、特に村ではどこかから湧いてくるかと思われるほど子供が多く、しかもそろって明るい笑顔を向けてくる。「一人っ子」政策で少子化が進む中国とは同じ人口大国でも違っている。

農地を見てまず感じたのは土地を最大限に耕していることである。飛行機でヒンドスタン平原の上空を飛んだが、眼下に森林はほとんどなく、すべての土地が農業に使われているようだった。この点では、中国の華北平原も長江デルタも珠江デルタも同じだ。これら中印の大平野はいずれも、川の沖積土で地味が肥えているだけではなく、灌漑水路網も発達しているため、年2回以上の収穫があり、両国の巨大な人口を養い、高い自給率を誇ってきた。ただし、中印ともに他の主要農業国と違い、土地を休耕させていない。残念ながら、土地を休ませて肥沃な状態に戻す余裕がないからだ。

さらに興味を惹かれたのは、農業と宗教が環境保全を目的に連携する姿が今日でも色濃く残っていることだ。インドに行かれたことのある人なら、車の行き交う道の真ん中を牛が悠然と歩いていたり、道路脇に寝転んでいたりする姿を見たことがあるでしょう。インド最大の宗教であるヒンドゥー教が、牛を聖なるものとしているため、道でも車や人が牛に譲るのだ。聖なるものだから、もちろん食べてはいけない。では、なぜヒンドゥー教では牛は聖なるものなのか。牛は農地を耕し、貴重なタンパク源であるミルクも提供してくれる一方、人間の食糧である穀物は食べずに自然に生えている草を食べるからだ。しかし、草をエネルギーに転換する効率は他の動物より優れている。牛以上に人間が生きていくことを助けてくれる動物はいない。訪問した村ではほとんどの農家が牛を飼っており、大事にしていた。

実は、昔、ヒンドゥー教徒も牛を食べていたといわれる。しかし、人口が増加して、格差が拡大し、低所得者層が大きく増えた。肉を食べられない低所得者層の不満が強まるとともに、牛肉の需要増加で牛の値段が高騰、牛を持てない農家が増え、耕作にも支障をきたすようになった。こうした社会矛盾に対応して生まれてきたのが不殺生を説く仏教といわれる。仏教が人々の心を捉える様子をみて、ヒンドゥー教に危機感が高まり、仏教の不殺生の思想を取り入れたという。ヒンドゥー教が不殺生の象徴に選んだのが、人々に最も便益をもたらす牛だったのだ。これによって、ヒンドゥー教は再び大多数の民衆に好感されるようになり、信者の数が大きく増え、インドの最大の宗教となり今日に至っている。

インドと中国はともに農地にできる土地はほとんど耕しており、また農業人口が相変わらず大きいため、農家の規模は日本よりも零細だ。それでも、基礎的な穀物では何とか自給を維持している背景には宗教の知恵もある。インドの人口増加は今後も続くが、ありとあらゆる知恵を使って、国民を食べさせていくような気がしている。