隣人としてのロシア

|ロシア

中国や朝鮮半島といった日本に接する隣国と比較して、ロシアに対する一般的な興味や関心はあまり高くはない。しかも、日本のロシア観は、ロシアを異端児扱いするというステレオタイプ的なものであることが多い。グルジア紛争の後には冷戦時代から引きずる「ロシア脅威論」が、金融・経済危機の後にはソ連崩壊直後に見られたような「ロシア無秩序論」がメディアを賑わせる。いずれの論調も、ロシアの一側面を過大評価して、ロシアとはまともに付き合えないと切り捨てる。「脅威か、無秩序か」という安直な表現に代わって、ロシアを等身大に理解する物差しはないのだろうか。

冷戦時代に日本海を覆っていた交流の遮断性が無くなり、かつて「環日本海経済圏構想」が提唱された。アイデア先行であったが、ロシアとどのように関わるべきかについて、斬新な問題提起が含まれていた。冷戦時代のように、日露関係を東京とモスクワとの政府間関係と捉えるのではなく、日本海に接する地方の視点から隣国との関係を再規定しようとする試みであった。この発想は、未だに有用である。日本とロシアは引っ越しのできない隣人であり、好むと好まざるとに関わらず共存せざるを得ないのだ。冷戦時代にはこの感覚が希薄であった。それゆえに、隣人を過剰に敵視する見方が生まれた。

ロシアをモスクワから見るか、それとも極東地域から見るべきか。ロシアが世界最大の領土を持つがゆえに、こうした問題が生じる。モスクワを通じてロシアを眺めた場合、ロシアははるか遠くの欧州国家である。しかし、新潟から飛行機でわずか数時間の極東地域を見れば、日本に隣接するアジア国家と映る。欧米諸国はロシアを欧州国家と捉え、モスクワの動きだけを観察するが、日本の視線もモスクワに集中し過ぎてはいないだろうか。モスクワを通してのみロシアを見るという視点が克服されてこそ、「隣人としてのロシア」とどのようにつきあうのかという発想が生まれる。

毎年新潟で開催されるERINA主催の国際会議に、できるだけ参加するようにしている。新潟で議論されるロシア論の中に、普段見失ってしまう「隣人としてのロシア」観を再発見するためだ。「隣人としてのロシア」を常に意識していれば、色眼鏡や先入観だけでロシアを表面的に論じることはできなくなる。「隣接性」という視点が、「隣人としてのロシア」をありのままに受け入れることを求めるのだ。新潟に所在するERINAが地方の視点から環日本海経済を論じ、新潟市をはじめとする多くの地方自治体が草の根レベルで環日本海交流を推進してきた。その功績は計り知れない。その中から培われてきた「隣人としてのロシア」観に、我々はもっと耳を傾けるべきではないだろうか。