ダリキン知事の3期目スタートにあたって思うこと

|ロシア

2010年2月、ロシア極東・沿海地方で、ダリキン知事の3期目がスタートした。2012年のAPECサミットに向けた大規模な開発が進む中での続投である。

ダリキン知事は水産や大豆の取引などで財を築き、2001年6月、エネルギー危機をめぐる連邦政府との対立から事実上解任されたナズドラチェンコ氏の後任として、連邦中央の推す候補者を破って、弱冠37歳の若さで知事に当選した。2005年に知事が大統領の任命制になると、任期切れ6ヵ月前にプーチン大統領(当時)に再選願いを提出し、任命知事第1号となった。

就任当初は、日本よりの経済ミッションの会談の席上、礼儀を欠いた態度を示したり、訪日した際、経済関係者との会議の席上で日本からの投資は必要ないと発言するなど、知事にふさわしくない言動が見られた。2期目に入ると、知事としての言動が落ち着く一方で、副知事など側近の相次ぐ逮捕・訴追に見舞われた。知事自身も自宅に捜索が入りモスクワに1ヵ月間の「逃亡」を余儀なくされるなどスキャンダルの連続だった。知事の座を捨てて、大使に転出するのではないかという噂も流れた。

この間、前知事の辞任の直接の原因となったエネルギー問題は起きず、住民の生活水準を向上させたとの外見上の成果があるが、それは彼の政治手腕によるものではなく、オイルマネーの流入に伴う高い経済成長が続いたことによるものであり、ダリキン知事が沿海地方の将来を真摯に検討し、公共の福祉について考慮した政策を実行した姿はなかった。

世界的な不況の影響で、ロシアのGDPが前年比でマイナス8~9%、極東地域もマイナス5~6%と落ち込むなか、沿海地方は逆にプラスとなった。APEC関連のインフラ整備や東シベリアから太平洋沿岸に石油を送るパイプラインなど大規模な投資プロジェクトのおかげだが、いまや、沿海地方はロシアの中で数少ない景気のいい場所となった。APEC関連の大開発は日本など各国の企業をひきつけている。ダリキン知事はその現場責任者として辣腕を振るい、発言力の高まりも著しい。スキャンダルだらけで辞任の噂が絶えなかった2期目とは大違いである。

ただ、懸念がないわけではない。モスクワから巨額な開発資金が流れてくるなか、外資への関心を失っている。外資は必要ないような態度をとることさえある。それは何も沿海地方に限ったことではない。ロシア全体でいえることだが、ダリキン氏の場合はそれが顕著である。モスクワから送られてくる資金で、連邦中央が計画したプロジェクトを実行することしか関心がない。以前の彼なら実現性ゼロでも夢のある計画をぶち上げ、外資からの提案に耳を傾けたものだったが、いまでは、モスクワの指示をただ実行するだけになってしまった。

相次ぐ人材の流出は、行政府を機能不全に陥らせて久しい。筆者が2003~2006年にかけてウラジオストクで勤務した時に知り合った人たちは全員、行政府を去っていった。横暴でわがままとされる知事の性格によるところが大きいが、ほぼ変わらない隣のハバロフスク地方とは対照的である。国際会議ひとつとってみても、要人への対応や会議の内容が完璧なハバロフスクに対し、ウラジオストクは、会議の内容から通訳や進行まですべてがお粗末である。人材流出がAPECサミットの不安要因になるとも限らない。

インフラ整備がサミットまでに間に合わなかった時の責任をとらせるために、続投させたのではないかとも言われるなか、日本が好むか好まないかにかかわらず、ダリキン時代は10年、11年へと続いていく。ダリキン知事とどう付き合うのか、日本は一度、考え直してみてはどうか。