温家宝総理の深セン視察と「北京コンセンサス」

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今年(2010年)8月20、21の両日、中国の温家宝総理は設立30周年を迎えた深セン経済特区を訪問した1。地元コミュニティーや港湾施設、先進的な企業や研究所などを精力的に視察したほか、一般公開直前の「改革開放総設計士 鄧小平」特別展のために深セン博物館へと足を運び、鄧小平氏の銅像に献花する一幕もあった。温総理は深センの発展について、「改革開放以来の中国社会の変転と巨大な変化の縮図であり、中国の特色ある社会主義の強大な生命力を生き生きと具現している」と称賛した。

折しもその数日前、中国が今年第2四半期(4~6月)の国内総生産(GDP)で日本を上回り、世界第2位の経済大国になったと伝えられた。国民1人当たりでは依然として日本の10分の1程度にとどまり、逆に物価水準を勘案した購買力平価ベースでは一昔前に日本を追い越しているので、今回の「逆転」に大した意味はないかもしれない。ただし、この「逆転」が予想以上に早く(2003年10月にゴールドマン・サックスはDreaming with BRICs: The Path to 2050のなかで2015年までに起こると予測した)、また、先進諸国経済が苦しんでいるこの時期に生じたことから、その心理的インパクトは大きなものであった。

周知のように、米国主導の新自由主義的資本主義は、サブプライムローン問題を発端として深刻な危機に直面した。2008年3月のベア・スターンズの大型救済、同年9月のリーマン・ブラザーズの破綻、翌年6月のGMの “Government Motor化” など、本丸の米国で続発した事件によって、市場の自己治癒力に限界があること、あるいは、それに任せては社会的損失が計り知れないことが広く認識され始めた。言い換えれば、「ワシントン・コンセンサス」という新自由主義の教義が失墜したのである。そのような状況下で中国はいち早く世界不況を脱し、世界第2位の経済大国へと躍り出たため、日本を追い越したというよりも、世界一の米国に急迫しているという印象がはるかに強くなっている。

「ワシントン・コンセンサス」に対置される言葉として、国家主導の開発体制や非民主的な政治体制を特徴とする「北京コンセンサス」がある。もちろん「北京コンセンサス」という概念は中国政府が生み出したわけではないし、「ワシントン・コンセンサス」のように他国へ基準を示したりその適用を迫ったりするものでもない。むしろ中国自身の立場は、「中国的特色」という言葉にも表れているように、各国の多様性を尊重し、内政不干渉を旨とする特徴がある。問題があるとすれば、外に対する強制というよりは国内における非民主的な性格であり(内政干渉になるが!)、また、S.ハルパーが The Beijing Consensus(Basic Books, 2010)のなかで指摘しているように、中国が「“資本主義を進みながら独裁国であり続ける”新たな方法についての世界最大の広告塔」になっていることであろう。つまり、経済成長は実現したいが民主化を望まない国々にとって、中国の経済的プレゼンスの拡大が直接的・間接的に選択肢を増やしているというのである。このことは、F.フクヤマが「歴史の終わり」と表現した、冷戦終結に伴う民主主義と資本主義の普遍化という認識が誤りであったことを意味するのであろうか?

中国国内からは、むしろ今後の中国における政治改革や民主化の不可避性を訴え、いわば「歴史の終わり」を肯定するような声が増えている。今年2月にForeign Affairsのウェブ版に投稿された姚洋(北京大学)の “The End of the Beijing Consensus” では、「中国共産党が経済成長の奨励と社会的安定の維持を望むならば、より大幅な民主化以外の選択肢はない」と断じられた。また、今回の深セン視察における温総理の重要講話のなかでも、「経済体制改革を進めるだけではなく、政治体制改革も推進しなければならない。政治体制改革の保障がなければ、経済体制改革の成果もまた失われる可能性があり、現代化建設の目標が実現できなくなる」と強調された。そのうえ、人民の民主的権利と合法的権益の保障、権力が過度に集中して制約を受けないという問題の解決、人民が政府を批判・監督できる条件を創り出すこと、等々、かなり踏み込んだ内容も提起されたのである2

1992年1~2月の鄧小平氏による南巡講話は、改革開放の再号令の役割を果たした。今回の温総理の深セン視察における重要講話は、政治体制改革につながるのであろうか。


  1. 新華網頻道「温家宝:経済特区是改革開放的旗幟和風向標」2010年8月23日
    http://www.gd.xinhuanet.com/newscenter/2010-08/23/content_20688562.htm)。
  2. 新華網「温家宝深セン考察:只有堅持改革開放 国家才有光明前途」2010年8月21日
    http://news.xinhuanet.com/politics/2010-08/21/c_12469709_2.htm)。