中国東北部からのメッセージ (1)

|中国

伊藤忠商事の髙木です。ERINAのオピニオンコーナーに投稿できる栄誉に浴したことに、先ず感謝申し上げます。

中国への傾注

  • 筆者は1973年伊藤忠商事に入社。石油化学プラントの輸出に携わり、海外勤務も長期にわたるが、駐在時代3つの歴史的事件に遭遇したことが思い出深い。1985年のテヘラン脱出(NHK「プロジェクトX」でも放映されたイランイラク戦争によるテヘラン空爆)。1989年の北京からの脱出(所謂天安門事件)。1999年の台湾大地震。
  • とりわけ印象深いのは北京。混沌とした状況下、最も信頼に足る現地スタッフに全てを任せ、駐在員家族一同、後ろ髪を惹かれる思いで任地からの撤退を余儀なくされた。その後、政治的逆風の中、1週間足らずで第一陣として北京に舞い戻った。事務所に足を踏み入れるや中国人スタッフ総立ちでの嵐のような拍手。肩を抱き合い再会を喜びあった。中国の為に一生を捧げたい!その後の中国駐在の心の支えになった歓喜の瞬間であった。

中国東北部での活動

  • 時は巡って2002年、伊藤忠の出資する製造事業立上げの為、蘇州に着任。製造業の真髄に触れると共に人事・労務問題にも深く係わった貴重な2年間であった。蘇州はこの僅か2年の間だけでも進出日系企業が目白押し、その後、待望の日本人学校も設立された。
  • 2003年秋、中国政府は東北振興政策を発動。中国東北部の発展潜在性を高く重視した伊藤忠は東北3省都(瀋陽/ハルピン/長春)での拠点設立を決定。2004年4月瀋陽事務所初代所長として蘇州から瀋陽に着任。ハルピン&長春事務所の設立にも奔走した。爾来6年、東北にどっぷりつかり、多くの中国人や日本人の友人に囲まれ充実した時を過ごした。本年7月任地を離れた。

中国と日本での温度差

  • 楽観的未来を想定し、超前向き志向の現地の人達。よりリッチな生活を目指し日々奮闘する中国人のエネルギーは我が駐在人生の元気の糧であった。筆者も、多くの日系資本に進出してもらうべく東北事情の発信に努めた。
  • だが帰国後の日本。何か違う。現地とは大きな温度差がある。尖閣列島事件を機に中国脅威論、中国リスク論がかまびすしい。これらを否定するつもりはさらさらない。されど日本と中国の関係は、悲観と楽観が何度も繰り返され、それを糧に現在の姿があることも事実である。投資先の検討に際し、大躍進を続けているアジア新興国も含め、総合的にメスを入れることには大賛成。だが、短絡的に「脱中国」に向かうことの愚は避けてほしい。
  • 中国の駐在が長くなりすぎたのかも知れない。筆者の話はたぶんに情緒的、非科学的且つ中国礼賛論に偏りすぎているかもしれない。されど現地の経済は極めて高速且つダイナミックに動いている。統計数字には表れない大きな経済マグマも動いている。これらは日本にいては決して感じ取ることのできない熱情である。

中国の経営者

  • 日本では「費用対効果」という言葉が良く使われる。しかるに中国の経営者は「時間対成果」を念頭に置く。日本の言い方には時間的感覚が欠如している。一つの事業を検討するため、多大な時間を費やす。特に中国向けの場合、ネガティブな要因から入るケースが多くなかなか結論が見出せない。
  • 中国人の発想は違う。「今これをやらなければいつ儲けるんだ?!」という考え方。日本人にとっては大変乱暴な議論も荒唐無稽な話も多々有る。されど、着眼点のよさ、着手の速さ、成果に結びつける貪欲な姿勢と人脈構築。見習うべき経営者や興味深いプロジェクトは多々ある。

中小企業の進出

  • 貿易や事業を始める際、現地感覚は大いに重要である。現地目線で中国を捉えないと機を逸する話も、逆にリセットすべき話もたくさんあるかもしれない。時間の許す限り現地にでかけ、現地で寝泊まりし、進出企業の生の声にも触れて欲しい。
  • それと同時に現地進出の際は是非、良きナビゲーターや良き合作パートナーを見つけてほしい。路線を定めるに際しては、現地に進出している邦人企業、日本人会、総領事館など皆、同士である。必ず応援団になってくれる。
    • 瀋陽の場合、日本人会の活動は大変活発である。100社、1,000名という会員規模は意思疎通に最適の人数かもしれない。多くの親睦行事のほか、定期的に瀋陽市政府との対話会を実施し、企業や邦人が直面する工場運営や生活上の問題などにつき市政府に対し、大胆に改善提案を行い鋭意対応頂いている。

    次回は

    最近の新聞で、蘇州に進出された日系企業幹部のコメントが掲載されていた。「中国は夢のある国だが、挑戦しない企業には冷たい」。大変印象に残る言葉である。次回は、多くの試練を乗り越え、瀋陽で事業を立ち上げた会社の例を中心に、中国東北部の現状をお話したい。